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2009年04月20日

「共産圏とジョーク」の巻

学生時代はジョーク、それもブラックジョークが大好きだった。

しかし今でも好きかと言えばちょっと違う。
社会人になって生活というものをリアルに体感していると、かえってシュールなジョークというものは言いにくくなってくるものだ。
学生時代は社会人とは違う浮世離れした気楽さがあったからこそ言えたという側面があったかもしれない。

また、今の世の中常識が常識として通用しなくなってきているという側面もある。
「通り魔事件」「虐待」「親殺し・子殺し」「テロ」等のニュースに接しない日はない。
ニュースを聞いていても「またか…」と思う様な事ばかりで、段々感覚が麻痺してくる自分が怖くなってくる。

「事実は小説よりも奇なり」というが、昔ならばジョークとして受け取られた様な事が、ジョークと言えないほど現実社会は深刻さを増してきている。


例えば、

「親孝行、したい時には親はなし」
という諺をもじって、
「親孝行、したくないのに親はいる」
というジョークがある。

しかし、「超高齢化社会」は既に現実のものとなって来ており、医療、介護、年金といった社会保障制度の問題、「老老介護」の問題、虐待や介護疲れからの無理心中等々…様々な問題山積みで、全く笑えない事態となっている。


白うさぎの父親は長年保護司として活動している関係で、警察署へ出入りする機会も多い。その父親から聞いた話。

~昔は子供が悪さして警察の厄介になると、親がやって来て「悪かった、悪かった」と平謝りだった。
今は子供が悪さして警察の厄介になると、親がやって来て「悪かった、悪かった」と言うところまでは同じだが、「(運が)悪かった」と言っている~


と、こういう話を地域の親御さん向けに講演でしゃべったそうだ。
「それでみんな笑ったやろ?」と白うさぎが聞くと、
「それが誰も笑わないんだよ。それほど事態(非行少年とそれを取り巻く環境)は深刻なんだよな。」と話していた。
これはもう20年近く前の話だ。あの当時よりも今の方がはるかに事態は複雑化、深刻化している。


さてさて、ジョークと言えば共産圏にまつわるジョークは数多い。

~ある日クレムリンの庭を一人の男が大声で
「フルシチョフは大バカ者だ!フルシチョフは大バカ者だ!」と叫びながら走り回った。
守衛が彼を捕えて警察に突き出した。
裁判の結果、その男は25年の禁固刑を科せられた。
内訳は3年が国家元首を侮辱した罪。
残りの22年は国家機密を暴露した罪だった。~


※1 フルシチョフは旧ソ連の共産党書記長。この話のバリエーションとしては、フルシチョフがブレジネフだったりアンドロポフだったりする。

~「プラウダ」には「プラウダ」がない。「イズベスチャ」には「イズベスチャ」がない。~

~「プラウダとイズベスチャの違いは何か知ってるか?プラウダにはイズベスチャがなく、イズベスチャにはプラウダがない。~

~イズベスチャは目で読むもんじゃねえ、ケツの穴で読むもんだ!だってケツ拭くぐらいしか役に立たねえもんな!~


※2 「プラウダ(Правда)」も「イズベスチャ(Известия)」もソ連の二大新聞で、「プラウダ」とはロシア語で「真実」、「イズベスチャ」とは「報道」を意味する。しかし二大紙とも共産党と国の「公式発表」やスローガンやプロパガンダしか載せていなかったから信頼性に欠けていた。

~「人民日報」に書いてある事で信じられるのは「人民日報」の四文字だけだ。~

※3 「人民日報」は中国共産党の機関紙。ソ連の二大紙と同様、内容は党の「公式発表」がメイン。


共産主義国家を取材した新聞記者が「この国には泥棒はいない」という当局の話を真面目に記事にした。
こういう話自体どう考えてもジョークとしか思えないが…フツーにありえない話だろう。ちょっと調べればわかる事ではないのか?
最も、好意的に考えれば、「盗むものもない」というジョークなのかもしれないが…。


「共産主義」を標榜する国々が次々と崩壊し、共産主義そのものが、ただの理想(幻想?)に過ぎなかったという事が白日のものとなっている。
共産党の一党独裁国家である中国でさえ、改革開放政策で貧富の差は拡大し「共産主義」とは程遠いものとなっているし、北朝鮮に至っては、国名自体がジョークだ。
「朝鮮民主主義人民共和国」には「民主主義」も、「人民」も「共和制」もない。あるのは独裁と一部の特権階級と大多数の貧民である。そもそも「共和国(republic)」とは、古代中国において君主がいない国家形態である「共和」を「君主制」の対概念である「republic」の訳語として当てはめた和製漢語である。しかし現実はどうか?権力の世襲が行われ、「金王朝」と呼ぶ方がふさわしい様な状態である。

その北朝鮮の代表メディアが朝鮮労働党の機関紙である「労働新聞」である。
その労働新聞が「面白い記事」を載せているのを先日、産経新聞の阿比留瑠比記者がブログで紹介していたので、孫引きになるが紹介したい。

「反共和国ヒステリーを起こし、無分別に狂奔している」

「カエルが合唱するように『脅威への対応準備』『ミサイル基地に対する先制攻撃検討』『核武装化に対する論議進行』だの何だのと騒ぎ立てている」

「日本は分別をなくして東西南北も分からず、火を見た牛のように狂奔している」

「いま、わが方の平和的な人工衛星発射の成功について、世界が喜び、歓迎している」

「世界がこのようにわが方の人工衛星発射を認定し、共感しているのは、それがわが方の合法的権利であり、強国の威容の誇示となるためである」

「彼ら(日本)の妄動は、一種のヒステリー発作症であり、極度の対朝鮮敵対意識、被害妄想症の表れである」

「わが方の人工衛星が成功裏に発射されたというニュースが伝えられるや、日本国内では当局者らに対する非難の声が溢れた。内外から追い詰められ、苦境に陥った日本当局者らは赤面して恥をかきながら、国民に謝罪せざるを得なかった」

「日本反動らが、世間が認めるわが方の人工衛星発射についていまだに騒いでいるのは、ニワトリを追いかけていたイヌが塀を見上げるように見ているだけであった哀れな境遇の表れであり、泥沼にはまった自分らの体面を少しでも立てようとする愚かな行為である」

「初歩的な理性さえ失った日本反動らは、わが方が人工衛星を発射すれば『迎撃』することを国策として宣布し、『自衛隊』に『北朝鮮衛星破壊措置命令』まで下した」

「わが方にはそのような(日本の)行為が、腑抜けた者、恐怖におののいた者らの下品で不愉快な醜態にしか見えない。世界がどのように動いているのかも理解せずに慌てふためいている日本反動らの行為は、一言で言ってみっともない」

「わが方をどうにかしようとする日本の妄動は、子犬がトラの恐ろしさを知らずに飛び掛かるようなものである」

「イヌがほえても、走っている列車は停まりはしない」


「北朝鮮メディアはイヌとニワトリがお気に入り」(「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」)より


読むだけでアホらしくなってくるが、かの国において「報道」とは一体どういう意味を持っているのだろう?


白うさぎは子供の頃、「何でみんな共産党へ投票しないんだろう?」と思っていた。

学校教育では、「高度経済成長」の負の側面である「公害」が強調され、ちょうどロッキード事件の記憶が生々しい頃でもあった為か、政府・自民党の悪口ばかり。
「政治家は悪い人」「政治家は嘘つき」と信じ込まされ、戦争放棄を謳った「平和憲法」は「不磨の大典」であると教えられた。
アメリカの悪口はよく聞いたが、ソ連をはじめとする共産圏の悪口はとんと聞かなかった。
生まれた頃は「全共闘」、学校時分は「成田闘争」華やかし頃であったが、「過激派」と呼ばれる側に心情的に同情した。
「権力=暴力」であると信じて疑わなかった。

だからこそ「共産党はいいこと言ってるよ。」と親に話した。
ところが、「子供は政治に口を出すもんじゃない!」と叱られた。
物事の本質が見えてなかったのだ。

「共産主義」と言えば「階級のない平等な社会の実現」とか「唯物論」を連想する。

「階級のない平等な社会の実現」と言っても、現実に国家を運営する上では指導する側・される側が存在する訳だから、始めから制度的な矛盾を抱えていた訳だ。
カンボジアでポル・ポトがやった様に、知識階級をみんな農村や収容所へ追いやったのも乱暴な話だ。それでは国家運営が成り立たないではないか。

共産主義は「神」の存在を認めない。

大学時代の友人が、「共産党の候補者の選挙事務所に“ダルマ”は置いてあるのか?気になる。」と話していたが、置いてあったらおかしいはずだ。

また海外駐在経験が長い叔父に聞いた話だが、
日本人は簡単に「私は無神論だ」と言うが、欧米では「信仰」というものはとても大切なもので、「あなたの宗教は?」と聞かれて、「私は無神論だ」と答えようものなら、「悪魔に魂を売り渡して、神をも信じない者」とか「共産主義者(communist)」とされてしまうそうだ。だから「無神論」であっても「Buddhism(仏教)」とか「Shintoism(神道)」と答えなさいという。

「基本的人権」だって本来「神」が保障するものだから「何びとも侵せない権利」なのだ。
その「神」の存在を認めない訳だから、人権が蹂躙されていても至極当然の結果だ。

しかし、いくら「神」あるいは「万物を超越した存在」「something great」の存在を否定したとしても、「共産主義」自体が「宗教」みたいなものである事は否定できないだろう。

また「共産主義」と「虐殺」はセットだ。
過去にはスターリンや毛沢東やポル・ポトが自国民を大量に粛清し、日本でも「中核・革マルの内ゲバ」や「連合赤軍リンチ殺人事件」等の凄惨な事件が起こっている。

共産主義がもつ様々な矛盾とは、人間の本能的欲求との葛藤ではないか。
例えば「平等は大切だ、けれど自由でいたい!人よりも儲けたい!いい生活をしたい!」という様な…そんな葛藤のあらわれなのではないか?
「理想」と「現実」との乖離が大きいが故、ジョークの素材として成立するのだろう。



※引用したジョークについては、落合信彦「国際情報」「ジョークでさらば20世紀」等を参考にした。



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