
2008年02月27日
あぁぁぁ~長濱わぁ~今日も~雪だぁった~
も~え~ちゅうに!
不必要な前ふりはさておき、前回の続きである。

開知学校の近くに一風変わった建築物を発見
よく見ると何か建物の上に鉄塔がのっとるで~。
車を運転している目線からはけっして見えない、まさに歩行者の目線に入ってくる景色だ。

上にのっているのは、「東京タワー」でも「京都タワー」でもない、「長浜タワー」だ。

長浜一の奇観を誇ると言っても過言ではない『長浜タワービル』の全貌
さっきの開知学校の洋風モダン建築とはうって変わって、これ、なんでしょうね
洋風のビルだが、飾りは香港や上海で見る様なデザインぽくないか?強いて言えば「中洋折衷
」とも言うべきか。(「○○飯店」とか「○○楼」とかついてたらバッチリなのだが…。)

「NAGAHAMA TOWERBILL」のロゴマークがシブいっ
(しかし、「BILL」ってスペルはアリなのか?)
この長浜タワービル、『長浜市 - Chakuwiki』によれば、
★長浜タワーというタワーらしくないタワーがあり、ビルの上に立っている。
長浜タワーは実は受信用のアンテナ。昭和40年ごろまでは「長浜タワービルヂング」は有料の展望台だった。
と、いうことらしいのだが、誰かもっと詳しい情報求む

商業の中心地は郊外型の大店舗に取って代わられ、「黒壁」のにぎわいとも無縁なのかさびれたアーケード街の入口
まさに見る者に「もののあはれ」を感じさせる風情ではないか。

『浜京極』の名称は、にぎやかな所の代名詞である「○○銀座」のように、往時は京都の京極通りの様な活況を呈していたのであろう。(しかし、一緒に書いてある「ローズタウン」って何だ?)

白うさぎの超オススメのお店『茶しん』
定番メニューは「ホワイトギョーザ」ボリュームがあっておいしいよ

店の張り紙によれば、「ホワイトギョーザ」の「ホワイト」は、中国人の「白さん」に教えてもらったことがいわれだそうな。
この他のメニューは、中華そばとかもあるのだが、ぜひ一度試してもらいたいのが「イタリアン焼きそば」
焼きそばの上にミートソース様のものがかけてあるメニューだ。他にも八宝菜風のものがかけてある「中華焼きそば」もあり。
「しばらく(大判焼きみたいなの)」もおいしいよ

『長尾山妙法寺』
秀吉の実子「羽柴秀勝」の墓所である。
秀吉には、浅井長政とお市の方との間に生まれた淀殿との間に生まれた「鶴松」「秀頼」しか実子がいなかったとされているが、一説によれば、長浜城主時代に南殿と呼ばれる女性との間に設けた男児が「秀勝(幼名石松丸)」とされているが、幼くして亡くなっている。
この妙法寺には「伝羽柴秀勝像」はじめ墓と伝わる石碑や位牌が存在する。
存在自体を疑問視する向きもあるが、初めて生まれた男児でもあり、その後養子とした男子二人に「秀勝」を名乗らせているところを見ると、実在した可能性は高いと思われる。
また長浜で「盆梅展」と並ぶビッグイベントでもある「曳山祭り」の起源は、長浜城主であった秀吉に男児が生まれ、喜んだ秀吉が町衆に砂金を贈ったことから、山車が作られ、長浜八幡宮の祭礼で曳きまわされたのが始まりとされていることからみても信憑性は高くなってくる。

羽柴秀勝の墓所であることを示す石碑

しかし、境内地が駐車場になっているのは何ともどうにかならないものか?風情も何もあったもんじゃない。
『妙法寺のHP』によれば新しい本堂の建立計画がある様子。

長浜市内のマンホールのフタ(秀吉に因んで『千成瓢箪』だ)
不必要な前ふりはさておき、前回の続きである。
開知学校の近くに一風変わった建築物を発見

よく見ると何か建物の上に鉄塔がのっとるで~。
車を運転している目線からはけっして見えない、まさに歩行者の目線に入ってくる景色だ。
上にのっているのは、「東京タワー」でも「京都タワー」でもない、「長浜タワー」だ。
長浜一の奇観を誇ると言っても過言ではない『長浜タワービル』の全貌
さっきの開知学校の洋風モダン建築とはうって変わって、これ、なんでしょうね


「NAGAHAMA TOWERBILL」のロゴマークがシブいっ

この長浜タワービル、『長浜市 - Chakuwiki』によれば、
★長浜タワーというタワーらしくないタワーがあり、ビルの上に立っている。
長浜タワーは実は受信用のアンテナ。昭和40年ごろまでは「長浜タワービルヂング」は有料の展望台だった。
と、いうことらしいのだが、誰かもっと詳しい情報求む

商業の中心地は郊外型の大店舗に取って代わられ、「黒壁」のにぎわいとも無縁なのかさびれたアーケード街の入口
まさに見る者に「もののあはれ」を感じさせる風情ではないか。
『浜京極』の名称は、にぎやかな所の代名詞である「○○銀座」のように、往時は京都の京極通りの様な活況を呈していたのであろう。(しかし、一緒に書いてある「ローズタウン」って何だ?)
白うさぎの超オススメのお店『茶しん』
定番メニューは「ホワイトギョーザ」ボリュームがあっておいしいよ


店の張り紙によれば、「ホワイトギョーザ」の「ホワイト」は、中国人の「白さん」に教えてもらったことがいわれだそうな。
この他のメニューは、中華そばとかもあるのだが、ぜひ一度試してもらいたいのが「イタリアン焼きそば」
焼きそばの上にミートソース様のものがかけてあるメニューだ。他にも八宝菜風のものがかけてある「中華焼きそば」もあり。
「しばらく(大判焼きみたいなの)」もおいしいよ

『長尾山妙法寺』
秀吉の実子「羽柴秀勝」の墓所である。
秀吉には、浅井長政とお市の方との間に生まれた淀殿との間に生まれた「鶴松」「秀頼」しか実子がいなかったとされているが、一説によれば、長浜城主時代に南殿と呼ばれる女性との間に設けた男児が「秀勝(幼名石松丸)」とされているが、幼くして亡くなっている。
この妙法寺には「伝羽柴秀勝像」はじめ墓と伝わる石碑や位牌が存在する。
存在自体を疑問視する向きもあるが、初めて生まれた男児でもあり、その後養子とした男子二人に「秀勝」を名乗らせているところを見ると、実在した可能性は高いと思われる。
また長浜で「盆梅展」と並ぶビッグイベントでもある「曳山祭り」の起源は、長浜城主であった秀吉に男児が生まれ、喜んだ秀吉が町衆に砂金を贈ったことから、山車が作られ、長浜八幡宮の祭礼で曳きまわされたのが始まりとされていることからみても信憑性は高くなってくる。
羽柴秀勝の墓所であることを示す石碑
しかし、境内地が駐車場になっているのは何ともどうにかならないものか?風情も何もあったもんじゃない。
『妙法寺のHP』によれば新しい本堂の建立計画がある様子。
長浜市内のマンホールのフタ(秀吉に因んで『千成瓢箪』だ)
2008年02月26日
長濱は今日も雪だった…
ベタな前ふりで申し訳ないーーーっ
田舎暮らしにゃ、車は欠かせぬアイテムだ。
軽トラの所有率の高いこと高いこと。
公共交通機関が発達していないから車社会になったのか、車社会だから公共交通機関が廃れたのか、もうどっちだっていいが、とにかく車なしじゃ生活できんワケ。
一般に田舎暮らしの人の方が健康に見えそうだが、実際には近場でもすぐに車に乗って出かける田舎人の方が、都会人より生活習慣病のリスクが高いそうだ。
そんな田舎暮らしの白うさぎだが、たまにゃあ歩いてみるのもいいもんだ。
歩いてみる風景は、
に乗って眺める風景とはどこか違って見えてとても新鮮な発見に満ち溢れていた。
そこで白うさぎ的視点でとらえた街の風景を激写
してみたのでごらんあれ!
長浜駅前と言ったらまずこれ!

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と石田佐吉(後の石田三成)の出会いの像(『三献茶』のエピソードシーンだ)
石田三成は、近江國坂田郡石田村(現:滋賀県長浜市石田村)の土豪・石田氏の出である。
ある寺院の寺小姓として仕えていた頃、たまたま鷹狩りの帰りに立ち寄った秀吉が茶を所望したところ、まずはじめは大振りの茶碗にぬるめのお茶、続いてはその茶碗に半分ぐらいで差し出し、最後は小さい茶碗に熱めの茶を出したという。この才気に感じ入った秀吉が近習に召し抱えたという逸話である。
この時の寺院というのが、石田村の近郷である大原荘の観音寺(現:滋賀県米原市朝日・伊富貴山観音護国寺)であるという。しかしこれには異説があり、伊香郡古橋村の法華寺(現:滋賀県伊香郡木之本町古橋・法華寺は既に廃寺)であるという説もある。
歴史学者の小和田哲男氏は「大原・観音寺説」が有力であるとしているが、「古橋・法華寺説」も当所が石田三成の生母の菩提寺であるということから有力とされている。それに因んでか、地元木之本町では『のんでみやんせ 三献の茶』というお茶を販売している。
まあ、この逸話は江戸時代の創作であるという説もあるので、真偽のほどは…だが、少なくとも石田三成が幼少の頃より才気あふれる人物だったということは疑いようのない事実だったのではあるまいか?
白うさぎも石田三成は大好きだ!だから『しまさこにゃん』が好きなのだ。

長浜駅前にある隠れた名店『とらや食堂』
白うさぎの妹の「おねい」が歓喜の涙にむせびそうなシブ過ぎる外観と、ひときわ目立つ「小さな食堂・大きく感謝」の文字

『開知学校』

明治4年、滋賀県初の小学校として創設された「滋賀県第一小学校」が前身で、その後明治7年に市民の寄付で建築されたのがこの「開知学校」である。
洋風4階建てのモダンな校舎がひときわ目を引く。
たった数年前まではちょんまげで歩いていた人達が、わずか数年後には、政治システムを改革し、鉄道を引き、モダンな建築物を次々に建てていった。この幕末・明治人のエネルギッシュでバイタリティーあふれる行動に、日本人としてただただ頭が下がる思いだ。本当にご先祖様達はスゴかったんだ
その開知学校から少し離れた所に、
ムムム…なにやら奇妙な建物が…
田舎暮らしにゃ、車は欠かせぬアイテムだ。
軽トラの所有率の高いこと高いこと。
公共交通機関が発達していないから車社会になったのか、車社会だから公共交通機関が廃れたのか、もうどっちだっていいが、とにかく車なしじゃ生活できんワケ。
一般に田舎暮らしの人の方が健康に見えそうだが、実際には近場でもすぐに車に乗って出かける田舎人の方が、都会人より生活習慣病のリスクが高いそうだ。
そんな田舎暮らしの白うさぎだが、たまにゃあ歩いてみるのもいいもんだ。
歩いてみる風景は、

そこで白うさぎ的視点でとらえた街の風景を激写

長浜駅前と言ったらまずこれ!
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と石田佐吉(後の石田三成)の出会いの像(『三献茶』のエピソードシーンだ)
石田三成は、近江國坂田郡石田村(現:滋賀県長浜市石田村)の土豪・石田氏の出である。
ある寺院の寺小姓として仕えていた頃、たまたま鷹狩りの帰りに立ち寄った秀吉が茶を所望したところ、まずはじめは大振りの茶碗にぬるめのお茶、続いてはその茶碗に半分ぐらいで差し出し、最後は小さい茶碗に熱めの茶を出したという。この才気に感じ入った秀吉が近習に召し抱えたという逸話である。
この時の寺院というのが、石田村の近郷である大原荘の観音寺(現:滋賀県米原市朝日・伊富貴山観音護国寺)であるという。しかしこれには異説があり、伊香郡古橋村の法華寺(現:滋賀県伊香郡木之本町古橋・法華寺は既に廃寺)であるという説もある。
歴史学者の小和田哲男氏は「大原・観音寺説」が有力であるとしているが、「古橋・法華寺説」も当所が石田三成の生母の菩提寺であるということから有力とされている。それに因んでか、地元木之本町では『のんでみやんせ 三献の茶』というお茶を販売している。
まあ、この逸話は江戸時代の創作であるという説もあるので、真偽のほどは…だが、少なくとも石田三成が幼少の頃より才気あふれる人物だったということは疑いようのない事実だったのではあるまいか?
白うさぎも石田三成は大好きだ!だから『しまさこにゃん』が好きなのだ。
長浜駅前にある隠れた名店『とらや食堂』
白うさぎの妹の「おねい」が歓喜の涙にむせびそうなシブ過ぎる外観と、ひときわ目立つ「小さな食堂・大きく感謝」の文字
『開知学校』
明治4年、滋賀県初の小学校として創設された「滋賀県第一小学校」が前身で、その後明治7年に市民の寄付で建築されたのがこの「開知学校」である。
洋風4階建てのモダンな校舎がひときわ目を引く。
たった数年前まではちょんまげで歩いていた人達が、わずか数年後には、政治システムを改革し、鉄道を引き、モダンな建築物を次々に建てていった。この幕末・明治人のエネルギッシュでバイタリティーあふれる行動に、日本人としてただただ頭が下がる思いだ。本当にご先祖様達はスゴかったんだ

その開知学校から少し離れた所に、
ムムム…なにやら奇妙な建物が…
つづく