
2009年11月03日
「あぎょ~さんさぎょ~ご」の巻
高校時代編の第4弾である。
白うさぎの高校の寮生活は1年から3年までごちゃまぜなのだが、白うさぎの所属したクラブは、3年生5人、2年生3人、1年生17人だったから、先輩よりも後輩の方が多い為、同じ学年の者と同室になる事になる。(基本的に4人部屋)
これはある意味ラッキーだった。白うさぎの最初の部屋は、3年生1人に、1年生3人という形だったが気を使う先輩が一人だけだったらある意味楽だよ。
例の「コーヒーいかがですか?」もローテーションできるしね
さて寮生活は6時起床で寮前で点呼、ラジオ体操の後ランニング、その後に朝食となっていた。
8時に登校、昼間は学校へ行き、夕方は一旦寮へ帰って着替えてからクラブ活動。
18時に夕食、食べたら入浴したり自由時間、20時から1時間は自習時間、その後掃除、それで夜の点呼をして、消灯時間は22時だった。
しかし高校生が22時に寝れる訳がない。
電気を消しても先輩がなかなか寝かしてくれない。
それどころか「俺より先に寝たらシバく!」などと言う。
あるいは「俺が寝るまでマッサージしろ!」などと命令する。
中学時代はラジオの深夜放送も聞かずに21時頃就寝していたから22時なんて眠くて仕方ない。
そんなある日の事…先輩が「ちょっと話を聞け」と言う。
真っ暗闇の中、同輩3人で聞いた話と言うのが…
前段の話はどんなだったか忘れてしまったが…まあどうでもいい。
とにかくある男性がある「呪文」を聞かされた。
その謎が解けなかったら呪われる!というものだったように記憶している。
その呪文とは…
あ ぎ ょ ~ さ ん さ ぎ ょ ~
あ ぎ ょ ~ さ ん さ ぎ ょ ~ ご
何とも聞き取りにくい発音であったが確かそう言ってた様に思う。
それで「お前達もこの謎を解かないと呪われるぞ!事実、謎が解けなくて頭がおかしくなり自殺したモンもおる…」などと脅かされた。
ヒントをくれると言うから聞いたら
「あきおさんが作業をしていたら何かが起こったんや…」などと言う。
みんな死にたくないから必死で考えるわ。
ところが、「日付が変わるまでに答えられなければ恐ろしい事が起こる」などとさらに恐ろしい事を言うのである
さらに追い打ちをかけるかのように、寮にまつわる怪奇現象の話などが続けられた。
が、そんな事より呪われたくないから!
まんじりともせず、布団で震えながら必死で考えたもののわからない
結局午前零時を回ってしまった。
もうだめだ~
何も起こらない…。
先輩がいきなり
「アギョウサン サギョウゴ」
と言った。
「ん!?」
「ア行3 サ行5」って…
「“ウソ”って事…」
ウッソー!?
その日、先輩達の間で「ぼちぼちアレやるか…」と話し合いが持たれたらしい。
この怪談は「ネタバレ」注意なので、一斉に話をする事になっていた様だ。
これも寮の伝統だったのである。
白うさぎの高校の寮生活は1年から3年までごちゃまぜなのだが、白うさぎの所属したクラブは、3年生5人、2年生3人、1年生17人だったから、先輩よりも後輩の方が多い為、同じ学年の者と同室になる事になる。(基本的に4人部屋)
これはある意味ラッキーだった。白うさぎの最初の部屋は、3年生1人に、1年生3人という形だったが気を使う先輩が一人だけだったらある意味楽だよ。
例の「コーヒーいかがですか?」もローテーションできるしね

さて寮生活は6時起床で寮前で点呼、ラジオ体操の後ランニング、その後に朝食となっていた。
8時に登校、昼間は学校へ行き、夕方は一旦寮へ帰って着替えてからクラブ活動。
18時に夕食、食べたら入浴したり自由時間、20時から1時間は自習時間、その後掃除、それで夜の点呼をして、消灯時間は22時だった。
しかし高校生が22時に寝れる訳がない。
電気を消しても先輩がなかなか寝かしてくれない。
それどころか「俺より先に寝たらシバく!」などと言う。
あるいは「俺が寝るまでマッサージしろ!」などと命令する。
中学時代はラジオの深夜放送も聞かずに21時頃就寝していたから22時なんて眠くて仕方ない。
そんなある日の事…先輩が「ちょっと話を聞け」と言う。
真っ暗闇の中、同輩3人で聞いた話と言うのが…
前段の話はどんなだったか忘れてしまったが…まあどうでもいい。
とにかくある男性がある「呪文」を聞かされた。
その謎が解けなかったら呪われる!というものだったように記憶している。
その呪文とは…
あ ぎ ょ ~ さ ん さ ぎ ょ ~
あ ぎ ょ ~ さ ん さ ぎ ょ ~ ご
何とも聞き取りにくい発音であったが確かそう言ってた様に思う。
それで「お前達もこの謎を解かないと呪われるぞ!事実、謎が解けなくて頭がおかしくなり自殺したモンもおる…」などと脅かされた。
ヒントをくれると言うから聞いたら
「あきおさんが作業をしていたら何かが起こったんや…」などと言う。
みんな死にたくないから必死で考えるわ。
ところが、「日付が変わるまでに答えられなければ恐ろしい事が起こる」などとさらに恐ろしい事を言うのである

さらに追い打ちをかけるかのように、寮にまつわる怪奇現象の話などが続けられた。
が、そんな事より呪われたくないから!
まんじりともせず、布団で震えながら必死で考えたもののわからない

結局午前零時を回ってしまった。
もうだめだ~

何も起こらない…。
先輩がいきなり
「アギョウサン サギョウゴ」
と言った。
「ん!?」
「ア行3 サ行5」って…

「“ウソ”って事…」
ウッソー!?
その日、先輩達の間で「ぼちぼちアレやるか…」と話し合いが持たれたらしい。
この怪談は「ネタバレ」注意なので、一斉に話をする事になっていた様だ。
これも寮の伝統だったのである。
タグ :寮生活
2009年10月31日
「ラブレター!?」の巻
FM放送を何気に聴いていたら、40代の女性からの投稿が読み上げられた。
内容は…
中学時代、ある男子生徒からラブレターをもらった。
中には「オフコース」のレコード「YES-NO」と現金500円が同封されていて、レコードで返事して下さい…とあった。当時すでに付き合っている彼氏がいたので、返事は当然「オフコース」の「さよなら」でした…。
というもの。
話の結末はちょっと相手の子には悲しい結末だけど、粋な事をするなぁ~と感心。
そんな白うさぎは過去に告白のラブレターなるものをもらった事はない。(ママうさぎ安心して下され…)
何せ、白うさぎの高校時代は男子校。
しかも寮生活。
寮の規則では
「男女交際は禁止」
これは入寮時に言い渡された。
しかし、そこは年頃の男子生徒ばかり、あんまり抑圧して問題でも起こされたら…という考えもあるのか
「ただし、文通のみ可」
とだけ付け加えられた
携帯電話などなかった時代だからこそのエピソードだ。
それでもそんな、「文通のみ」ってねぇ~。
中には、色々なツテで彼女を見つけてくる奴もいる事はいる。(白うさぎは違うよ!)
全国から生徒が集まって来ているので、兄弟姉妹で来ている場合なんかじゃそういうツテを利用したり、勇気のあるヤツはナンパしたりというワケ。
一応寮生活なので、家族などからの電話の取次ぎはしてもらえるのだが、「妹です」「姉です」と名乗って電話をかけて来てもらいおしゃべりしていた奴もいた。
電話を取り次ぐのは、高校を卒業したOBが寮幹事として勤めているので、そこはそれ目をつむってくれていたのだろう。
なかには明らかに女性の声なのに「弟です」と名乗ってかかって来た事があったが取り次いでやった…という話を聞いた事がある。
これが同じ寮生活でも天理高校の女子寮などはガードが固い。
電話をしても「自習時間中なので…」と取り次いでくれない。
やはり「女の園」はね…。
男子校での経験が邪魔をしてか、白うさぎもなかなか女性とうまく話ができなかった。
こんなんだったから当然高校時代は彼女なし。
大学に入って同級生の女子なんかに話しかけられても、本心はうれしいのにつれなくしたり、それで恋人になるチャンスを逃した経験もあったり…。
やっぱり世の中、男性と女性がいる訳だからどちらか片方というのは何かいびつなカタチになってしまうのかな~。
一度でいいから「ラブレター」なるものをもらってみたかったな~。「ラブレター」に心をときめかせるなんて青春の特権だよね。
そんな白うさぎが女性の比率の高い職場で働き、今じゃ職場で白うさぎは黒一点。
所長としてそれなりに女性の部下達を率いているのだから人生どう転ぶのかさっぱりわからない。
内容は…
中学時代、ある男子生徒からラブレターをもらった。
中には「オフコース」のレコード「YES-NO」と現金500円が同封されていて、レコードで返事して下さい…とあった。当時すでに付き合っている彼氏がいたので、返事は当然「オフコース」の「さよなら」でした…。
というもの。
話の結末はちょっと相手の子には悲しい結末だけど、粋な事をするなぁ~と感心。
そんな白うさぎは過去に告白のラブレターなるものをもらった事はない。(ママうさぎ安心して下され…)
何せ、白うさぎの高校時代は男子校。
しかも寮生活。
寮の規則では
「男女交際は禁止」
これは入寮時に言い渡された。
しかし、そこは年頃の男子生徒ばかり、あんまり抑圧して問題でも起こされたら…という考えもあるのか
「ただし、文通のみ可」
とだけ付け加えられた

携帯電話などなかった時代だからこそのエピソードだ。
それでもそんな、「文通のみ」ってねぇ~。
中には、色々なツテで彼女を見つけてくる奴もいる事はいる。(白うさぎは違うよ!)
全国から生徒が集まって来ているので、兄弟姉妹で来ている場合なんかじゃそういうツテを利用したり、勇気のあるヤツはナンパしたりというワケ。
一応寮生活なので、家族などからの電話の取次ぎはしてもらえるのだが、「妹です」「姉です」と名乗って電話をかけて来てもらいおしゃべりしていた奴もいた。
電話を取り次ぐのは、高校を卒業したOBが寮幹事として勤めているので、そこはそれ目をつむってくれていたのだろう。
なかには明らかに女性の声なのに「弟です」と名乗ってかかって来た事があったが取り次いでやった…という話を聞いた事がある。
これが同じ寮生活でも天理高校の女子寮などはガードが固い。
電話をしても「自習時間中なので…」と取り次いでくれない。
やはり「女の園」はね…。
男子校での経験が邪魔をしてか、白うさぎもなかなか女性とうまく話ができなかった。
こんなんだったから当然高校時代は彼女なし。
大学に入って同級生の女子なんかに話しかけられても、本心はうれしいのにつれなくしたり、それで恋人になるチャンスを逃した経験もあったり…。
やっぱり世の中、男性と女性がいる訳だからどちらか片方というのは何かいびつなカタチになってしまうのかな~。
一度でいいから「ラブレター」なるものをもらってみたかったな~。「ラブレター」に心をときめかせるなんて青春の特権だよね。
そんな白うさぎが女性の比率の高い職場で働き、今じゃ職場で白うさぎは黒一点。
所長としてそれなりに女性の部下達を率いているのだから人生どう転ぶのかさっぱりわからない。
2009年10月31日
「寮生活はつらいよ…」の巻
白うさぎの高校(男子校)は、北は北海道から南は九州まで様々な地域から生徒が集まっていた事もあり、全寮制だった。
寮の部屋割は、部活毎で割り振られ1年生から3年生まで同室である。
必然的に部活動で「嫌な先輩」は寮でも「嫌な先輩」とな~る。
みんな部屋替えの時には、そんな先輩と部屋が一緒にならない様に祈ったものだ。
「男子校&寮生活」となれば、寮生活のルールが厳しいのはお約束。
中学時代の担任の先生が自身の大学時代の寮生活について
「一生懸命トイレ掃除するだろ、それで先輩がやって来て“ちゃんと掃除できたか?”と聞く訳だ。もちろん“ハイッ!きれいに掃除できましたっ!”と言うわな。そしたら“じゃあ、なめてみろ”だぞ。本当に便器をなめさせられて悔しい思いをしたわ…。」
と語っていたが、ま、似たようなもんですな…
部活毎にルールは違うのだが、白うさぎの所属していた部のルールは特に厳しかった。
大体寮の部屋は奥から3年、2年、1年の順で、スリッパの脱ぐ位置も決められている。当然先輩が脱ぎ散らかしたスリッパは1年がきちんと並べ直すのは当たり前それ以外にも思いつくままに列挙すると…
①1日2回は部屋掃除をする!(1回は「掃除の時間」にするので、それ以外にもう1度しなさい、という事。)
②1日に2回以上「先輩、コーヒーはいかがですか?」と聞く事!(別バージョンで「お菓子いかがですか?」「ラーメンいかがですか?」もあり。当然“ブツ”は後輩が自腹で準備。)
③先輩の畳を横切ってはいけない。どうしても横切らなければいけない時には「失礼します」と言う。
④先輩に出会ったら、必ず足は揃えて大声で挨拶し、体は90度まで曲げてお辞儀する事。(普通30度くらいだよね。)
⑤先輩より早く食事は済ませ、食堂から出て行く事!ただし、先輩がお代りに立ち上がったら、すかさずお代りをよそいに行く事。(早く食べて、出ていかなければいけないのに、先輩に気も使わなければいけない。どうすればええんじゃ!)
⑥基本的に部屋では、椅子に座って過ごす事。畳に座る時には必ず正座で、先輩の許可が出てからでないと足を崩してはいけない。
⑦先輩がギャグを言ったらすかさず笑う事!「何か芸だしやれや!」と言われたらすかさず行う事!
…他にもいっぱいあるのだが、書ききれないので割愛。
このルールが守られていないと、「修練」といって先輩(主に2年生)に呼び出しをかけられ、真っ暗にした部屋で正座・黙想の上、延々1~2時間程度にわたり説教される。(先輩による鉄拳制裁は1年前に廃止された。ある意味ラッキー
)
例:
先輩:「お前ら、最近挨拶しとるか?」
後輩一同:「ハイッ!!」
先輩:「きちんと挨拶しとるもんは手ェ上げぃ!!」
※パラパラと手が上がる。手は真っ直ぐ耳につけて上げなければならないが、曲がっていたりすると叩かれる。これが結構痛い
先輩:「AやBはちゃんとしとるし下ろしてもエエヮ。しかしCッ!お前は何じゃ!」
「説教time クドクドクドクド…」
先輩:「D」
後輩D:「ハイッ!(女の子の様にか細い声)」
先輩:「D!」
後輩D:「ハイッ!(さっきより大きいが相変わらず小さい声)」
先輩:「先輩、なめとんのか!」
後輩D:「いいえ!(甲高くなる)」
先輩:「D」
後輩D:「ハイッ!(女の子の様にか細い声)」
先輩:「D!」
後輩D:「ハイッ!(さっきより大きいが相変わらず小さい声)」
先輩:「先輩、なめとんのか!」
後輩D:「いいえ!(甲高くなる)」
※これが延々と繰り返された。
たのむからやめてくれ~。
Dがか細くて高い声しか出せないの知ってて聞いとんのか?
思わず笑てまうやんけ~。
しかし笑ったらシバかれるし、舌噛んで必死でこらえる白うさぎ!死む~。
先輩:「E、お前こないだ先輩にプロレス技かけられて“痛いですゥ~やめて下さい”言うとったやろ?せっかく先輩が遊んで下さっているのになんじゃ!」
後輩E:「ハイッ!!申し訳ありませんでしたっ!!」
先輩:「今度から気をつけィ!」
後輩E:「ハイッ!!申し訳ありませんでしたっ!!」
※ちょっと!そんな理不尽な…。これ以降、誰も先輩のプロレス技や柔道に抵抗できなくなった。
あと謝る時には「申し訳ありませんでした」と言う事になっている。
ちなみに先輩の名前を呼ぶ時には「~さん」ではなく、「○○先輩」
大体「修練」の流れ(と言うのも変だが…)としては、先輩に対する挨拶、お茶やコーヒーなどの接待、掃除や洗濯などの雑用がきちんとできているかについて説教される。
それだけなら社会へ出てからも応用できる挨拶なんかの躾を身につけるのに意義があるかもしれないが、プロレス技に何の意義があるのか!
大体3年生は「神」とか「天皇」で、2年は「人間」、1年は「下僕」というのが通り相場。
こんな理不尽な生活環境で生活してたら性格もひねくれまっせ!
まぁ、ちょっとやそっとのことでは腹も立たないし、耐える事ができる様になったが…。
こんなんでも白うさぎの学年はまだマシなのだ。
3年の先輩に聞くと、「修練」=「シバき」だったそうだから。
殴られるのも序の口、みぞ蹴り喰らわされたりという事もあったそうな…。
中には「ジャンピングみぞ蹴り」とか「助走付きみぞ蹴り」とかもあったと言うから滅茶滅茶だ。
ただし、蹴り方はプロ級(何のこっちゃ)正確にみぞおちへヒットさせる者のみが行っていたらしい。
先輩への接待の中で、一番費用負担のデカイのは「インスタントラーメン」である。
何が悲しゅうて、自分のラーメン先輩に作って差し上げなければならないのか?
恨みを抱いた後輩がする行為はただ一つ…「カーッ、ぺッ
」ですわ…。(食事中の方はスミマセヌ…)
ある日、後輩達から蛇蝎の如く嫌われている先輩である「Let's」(「Let's 柔道」とか「Let's プロレス」等と言っては無抵抗の後輩達をイジメ抜いていた。)がやって来て、「ラーメン・パーティーしようぜ!」とのたもうた。
たまたま部屋にいた白うさぎと同級生のヤマジュウは、あちこちの部屋の同級生達に「ラーメンないか?」と調達に走り回った
それでやっと3個揃ったので給湯室でラーメン
作り…
ヤマジュウが、「おい、“アレ”やらねーか?」と言ったが、白うさぎは何となく嫌な予感がしたので「やめとこーぜ」と思い止まらせた。
できたてのアツアツのラーメン
を持っていった二人。
3人で車座になり「いただきます」をしようとしたその時!
「Let's」が急に「取り替えっこしようぜー」とのたもうた。
「危ねー、セーフ!!」
口にこそ出せないが胸をなでおろした白うさぎ達であった。
多分混入物を警戒したのだろう。危ないところだった…
この先輩も絶対ヤッていたクチだな…。
この「Let's」、先輩にうまいこととりいっていた為、3年時には部長となったが、暴君ぶりを発揮!あまりのひどさに耐えかねた白うさぎ達が結束してクラブから追放処分にした。
同級生のモリヤンは「青春時代」ならぬ「黒冬時代」と言っていたが、当時はホンマ先輩の暴力やイジメ、理不尽なルールに泣かされ、後輩は後輩で「新人類」らしく上下関係に無頓着。「棒倒し」もルール変更だし。
まったく自分達は損な世代だと出るのはため息ばかり…。
しかし今となっては楽しかった事より苦労した思い出の方がよく覚えている。
あれはあれで自分にとっていい経験だったのかなぁ?
白うさぎが3年の2学期。
それまで頭髪は丸坊主と決まっていた校則が改正となり、多少伸ばしても良くなった。
数年して、男子校から男女共学へ移行。
そしてつい数年前、統合により母校は消滅した………。
一体あの3年間はなんだったのだろう…とたまに考える。
社会へ出たら理不尽な事も沢山ある。そういう事にも心を倒さず踏ん張って行ける精神力をあの時期に養ったのだ、そう思う様にしている。
さて、先の担任話の続き…。
「便器なめさせられ、あんまりにも悔しかったので、便器から汲んだ水で茶を入れて出してやったわー。」
どこの世界も、まぁ似たようなもんですな
寮の部屋割は、部活毎で割り振られ1年生から3年生まで同室である。
必然的に部活動で「嫌な先輩」は寮でも「嫌な先輩」とな~る。
みんな部屋替えの時には、そんな先輩と部屋が一緒にならない様に祈ったものだ。
「男子校&寮生活」となれば、寮生活のルールが厳しいのはお約束。
中学時代の担任の先生が自身の大学時代の寮生活について
「一生懸命トイレ掃除するだろ、それで先輩がやって来て“ちゃんと掃除できたか?”と聞く訳だ。もちろん“ハイッ!きれいに掃除できましたっ!”と言うわな。そしたら“じゃあ、なめてみろ”だぞ。本当に便器をなめさせられて悔しい思いをしたわ…。」
と語っていたが、ま、似たようなもんですな…

部活毎にルールは違うのだが、白うさぎの所属していた部のルールは特に厳しかった。
大体寮の部屋は奥から3年、2年、1年の順で、スリッパの脱ぐ位置も決められている。当然先輩が脱ぎ散らかしたスリッパは1年がきちんと並べ直すのは当たり前それ以外にも思いつくままに列挙すると…
①1日2回は部屋掃除をする!(1回は「掃除の時間」にするので、それ以外にもう1度しなさい、という事。)
②1日に2回以上「先輩、コーヒーはいかがですか?」と聞く事!(別バージョンで「お菓子いかがですか?」「ラーメンいかがですか?」もあり。当然“ブツ”は後輩が自腹で準備。)
③先輩の畳を横切ってはいけない。どうしても横切らなければいけない時には「失礼します」と言う。
④先輩に出会ったら、必ず足は揃えて大声で挨拶し、体は90度まで曲げてお辞儀する事。(普通30度くらいだよね。)
⑤先輩より早く食事は済ませ、食堂から出て行く事!ただし、先輩がお代りに立ち上がったら、すかさずお代りをよそいに行く事。(早く食べて、出ていかなければいけないのに、先輩に気も使わなければいけない。どうすればええんじゃ!)
⑥基本的に部屋では、椅子に座って過ごす事。畳に座る時には必ず正座で、先輩の許可が出てからでないと足を崩してはいけない。
⑦先輩がギャグを言ったらすかさず笑う事!「何か芸だしやれや!」と言われたらすかさず行う事!
…他にもいっぱいあるのだが、書ききれないので割愛。
このルールが守られていないと、「修練」といって先輩(主に2年生)に呼び出しをかけられ、真っ暗にした部屋で正座・黙想の上、延々1~2時間程度にわたり説教される。(先輩による鉄拳制裁は1年前に廃止された。ある意味ラッキー

例:
先輩:「お前ら、最近挨拶しとるか?」
後輩一同:「ハイッ!!」
先輩:「きちんと挨拶しとるもんは手ェ上げぃ!!」
※パラパラと手が上がる。手は真っ直ぐ耳につけて上げなければならないが、曲がっていたりすると叩かれる。これが結構痛い

先輩:「AやBはちゃんとしとるし下ろしてもエエヮ。しかしCッ!お前は何じゃ!」
「説教time クドクドクドクド…」
先輩:「D」
後輩D:「ハイッ!(女の子の様にか細い声)」
先輩:「D!」
後輩D:「ハイッ!(さっきより大きいが相変わらず小さい声)」
先輩:「先輩、なめとんのか!」
後輩D:「いいえ!(甲高くなる)」
先輩:「D」
後輩D:「ハイッ!(女の子の様にか細い声)」
先輩:「D!」
後輩D:「ハイッ!(さっきより大きいが相変わらず小さい声)」
先輩:「先輩、なめとんのか!」
後輩D:「いいえ!(甲高くなる)」
※これが延々と繰り返された。
たのむからやめてくれ~。
Dがか細くて高い声しか出せないの知ってて聞いとんのか?
思わず笑てまうやんけ~。
しかし笑ったらシバかれるし、舌噛んで必死でこらえる白うさぎ!死む~。
先輩:「E、お前こないだ先輩にプロレス技かけられて“痛いですゥ~やめて下さい”言うとったやろ?せっかく先輩が遊んで下さっているのになんじゃ!」
後輩E:「ハイッ!!申し訳ありませんでしたっ!!」
先輩:「今度から気をつけィ!」
後輩E:「ハイッ!!申し訳ありませんでしたっ!!」
※ちょっと!そんな理不尽な…。これ以降、誰も先輩のプロレス技や柔道に抵抗できなくなった。
あと謝る時には「申し訳ありませんでした」と言う事になっている。
ちなみに先輩の名前を呼ぶ時には「~さん」ではなく、「○○先輩」
大体「修練」の流れ(と言うのも変だが…)としては、先輩に対する挨拶、お茶やコーヒーなどの接待、掃除や洗濯などの雑用がきちんとできているかについて説教される。
それだけなら社会へ出てからも応用できる挨拶なんかの躾を身につけるのに意義があるかもしれないが、プロレス技に何の意義があるのか!
大体3年生は「神」とか「天皇」で、2年は「人間」、1年は「下僕」というのが通り相場。
こんな理不尽な生活環境で生活してたら性格もひねくれまっせ!
まぁ、ちょっとやそっとのことでは腹も立たないし、耐える事ができる様になったが…。
こんなんでも白うさぎの学年はまだマシなのだ。
3年の先輩に聞くと、「修練」=「シバき」だったそうだから。
殴られるのも序の口、みぞ蹴り喰らわされたりという事もあったそうな…。
中には「ジャンピングみぞ蹴り」とか「助走付きみぞ蹴り」とかもあったと言うから滅茶滅茶だ。
ただし、蹴り方はプロ級(何のこっちゃ)正確にみぞおちへヒットさせる者のみが行っていたらしい。
先輩への接待の中で、一番費用負担のデカイのは「インスタントラーメン」である。
何が悲しゅうて、自分のラーメン先輩に作って差し上げなければならないのか?
恨みを抱いた後輩がする行為はただ一つ…「カーッ、ぺッ

ある日、後輩達から蛇蝎の如く嫌われている先輩である「Let's」(「Let's 柔道」とか「Let's プロレス」等と言っては無抵抗の後輩達をイジメ抜いていた。)がやって来て、「ラーメン・パーティーしようぜ!」とのたもうた。
たまたま部屋にいた白うさぎと同級生のヤマジュウは、あちこちの部屋の同級生達に「ラーメンないか?」と調達に走り回った

それでやっと3個揃ったので給湯室でラーメン


ヤマジュウが、「おい、“アレ”やらねーか?」と言ったが、白うさぎは何となく嫌な予感がしたので「やめとこーぜ」と思い止まらせた。
できたてのアツアツのラーメン

3人で車座になり「いただきます」をしようとしたその時!
「Let's」が急に「取り替えっこしようぜー」とのたもうた。
「危ねー、セーフ!!」
口にこそ出せないが胸をなでおろした白うさぎ達であった。
多分混入物を警戒したのだろう。危ないところだった…

この先輩も絶対ヤッていたクチだな…。
この「Let's」、先輩にうまいこととりいっていた為、3年時には部長となったが、暴君ぶりを発揮!あまりのひどさに耐えかねた白うさぎ達が結束してクラブから追放処分にした。
同級生のモリヤンは「青春時代」ならぬ「黒冬時代」と言っていたが、当時はホンマ先輩の暴力やイジメ、理不尽なルールに泣かされ、後輩は後輩で「新人類」らしく上下関係に無頓着。「棒倒し」もルール変更だし。
まったく自分達は損な世代だと出るのはため息ばかり…。
しかし今となっては楽しかった事より苦労した思い出の方がよく覚えている。
あれはあれで自分にとっていい経験だったのかなぁ?
白うさぎが3年の2学期。
それまで頭髪は丸坊主と決まっていた校則が改正となり、多少伸ばしても良くなった。
数年して、男子校から男女共学へ移行。
そしてつい数年前、統合により母校は消滅した………。
一体あの3年間はなんだったのだろう…とたまに考える。
社会へ出たら理不尽な事も沢山ある。そういう事にも心を倒さず踏ん張って行ける精神力をあの時期に養ったのだ、そう思う様にしている。
さて、先の担任話の続き…。
「便器なめさせられ、あんまりにも悔しかったので、便器から汲んだ水で茶を入れて出してやったわー。」
どこの世界も、まぁ似たようなもんですな

タグ :寮生活
2009年10月18日
「運動会は楽しい!?」の巻
『おたっしゃ倶楽部』も先日めでたくオープン2周年を迎えた。
その栄えある1期生であるKちゃんがある日こんな事を言っていた。
「昔の運動会は何であんなに楽しかったんやろー」
確かに少子化や教育方針の転換などにより、運動会も昔とは大きく様変わりしてしまった様に思える。
例えば「騎馬戦」や「棒倒し」などは絶滅したのではないかとさえ思える。
10年ほど前に長浜市内の特別養護老人ホームに勤務していた頃、地元の中学校から招待状が届いて数人の利用者さんを連れて「観覧席」で観戦した事がある。
生徒さん達は一生懸命競技に取り組んでいたと思うのだが、白うさぎにとってはひどく「退屈」なものに感じられた。
なぜか?
それはプログラムの大半が「徒競争」と「リレー」で占められていたからだ。
全員参加の徒競争、全員参加の「団対抗リレー」「学年別リレー」など、延々と生徒が走っている姿を見せられるのである。途中から見たら一体プログラムのどの辺なのかさっぱりわからない。
また「全員リレー」などは確かに順位が激しく入れ替わるので面白いと言えば面白いのだが、いかんせん競技時間が長過ぎて、間延びしてしまう。
これは白うさぎの感じ方なので、他の人はどうなのかわからないが、こういうプログラム構成はいかがなものか?と思った。
「運動会」って「オリンピック」みたいに、様々な競技があるから面白いのではないのか?
ただ足が速い者だけが勝つ!というもの(「徒競争」とか「リレー」)だけではなく、チームとしての戦い方がものをいうもの(「綱引き」や「騎馬戦」等)や、「運」や「偶然」の要素がからんでくるもの(「障害物競争」や「借り物競走」)、観戦者も見て楽しめるもの(「アメ食い競争」等)があってこそ、「楽しい運動会」なのでは…。
その点、今や統合で消滅した白うさぎの出身高校(全寮制・男子校)の運動会は断トツの面白さだった!
なんせ、1~3位までに入賞すれば「賞品」が貰えるのだ!
…と言っても、「賞品」はノートや鉛筆、シャンプーや石鹸、歯磨き粉など文房具や日用消耗品がほとんどだったが…
(何せ寮生活だからね…
)
全員が全種目に出るという訳でなく、「全員参加種目」と「チーム種目」、「個人種目」とがあり、それぞれホームルームの時間に参加種目を決めていた。
「賞品」が出るのもユニークだったが、競技種目もユニークだった。
運動会の花形「100m走」や「リレー」は当然あったが、以下の食べ物種目には必ずどれか1種目に出場と決まっていた。
・「早食い競争」(バナナの早食い)
・「早飲み競争」(ラムネの早飲み)
・「八岐大蛇」(小麦粉にまぶした飴玉を探し当てて食べる)
・「パン食い競争」(伝統的なあんパンを食べるもの)
以上の4種目である。
この競技、普通に速さのみを競っていては何にも面白くない。(見てる方がね…
)
中にはレースに出場する選手同士が示し合わせて、わざと食べ物が置いてある所まではゆっくり歩いて行き、みんなで「いただきます」をしたり…というパフォーマンスがあったりした。(そして周囲からは盛んに「裏切れ!」「裏切れ!」の野次が飛ぶ
)
あくまでフェアプレーに徹する者もあれば、土壇場で裏切り行為に走る者もいて競技を盛り上げたものだ。
また、ラムネの早飲みのコツとしては、瓶を思いっきり振ってからフタを叩いて飛ばし、炭酸をあふれさせて飲む量を減らす事なのだが、1年の時の担任の教師(何と!教師も参加するのも特徴なのだ
)なんかは、勢い余ってラムネ瓶を叩き割ってしまった
(なんせ少林寺拳法をやっていて、白うさぎを除くクラスの全員が殴られた経験あり)
「チーム種目」には、「百足競争」などがあったが、「帰って来たヨッパライ」という種目をぜひとも紹介したい。
白うさぎは3年間この競技に出場したが、ルールはいたって簡単。
①スタートしてA地点に向かう。
②A地点に円が描かれており、バットが置かれている。
③バットをおでこにあててその場で10回回る。
④回り終わったらB地点に向かう。
⑤B地点には近江商人におなじみの天秤棒に10キロほどの重りがついたものが置いてある。
⑥天秤棒を担いで折り返し点まで走る。
⑦折り返し点を回ったら、再びB地点まで戻り天秤棒を置く。
⑧スタート地点まで戻って次走者へタッチ!
A地点でのバットクルクルが終わった時点で既に大半の者は目が回って真っ直ぐ走れない状態だ。
もう足をもつれさせながら這う様にしてB地点に駆け込むのが精一杯だ。
ひどいケースになるとバット持ったまま転倒したり、回転しながらあらぬ方角へフラフラと行ったりする者もいた。
天秤棒に手を伸ばそうとしているのに、足だけ別の方角へどんどん行ってしまった同級生の場合なんか、本当に気の毒だったが大爆笑してしまった
内容もハードだったが、一番笑いのとれる種目であった。
この他「借り物競走」「障害物競争」「マラソン」「PK合戦」「クラブ対抗リレー」などがあった。
さてここで問題の「騎馬戦」と「棒倒し」を取り上げたい。
白うさぎの母校は男子校だったから、バイオレントな空気プンプンである。
「騎馬戦」については、ルール上は「暴力禁止」である。(当たり前だが…
)
しかしそれが「タテマエ」に過ぎないのは実際に競技がスタートしてから思い知らされる…。
騎馬戦の暴力行為って馬上で繰り広げられるものばかりではない。
土台を担当した白うさぎなど、先輩に嵐の様なローキックをお見舞いされた
と、いうのも騎馬が崩れたらアウトだからである。
1年の時に上に乗せた先輩は狂犬の様な人で、まさに相手に「襲いかかって」いった。
こちらも必死で支えたが、土煙りとともに互いの騎馬が崩れた!
一瞬土煙りで何も見えなくなった…と思ってたら、先輩、相手選手に殴りかかっているではないか!?
そしたらさらに大きな影が横切ったと思ったら、鬼のような形相の寮の幹事が「止めに入った!」(実際は先輩に殴りかかって止めた)
先輩は羽交い絞めにされながらも暴れているし…全くひどいもんだった。はぁ~。
「騎馬戦」より最悪なのが「棒倒し」だ。
この競技、タテマエ上も「暴力禁止」を謳っていなかったから全くひどい
皆さんもご存じの通り、「棒倒し」の競技のルールは、皆で支える棒を打ち倒すか、棒の先に付けられた旗を取るかで勝敗が決まる。
棒を支える土台は2年が担当、1年は外周を固め、3年が攻撃を担当するのだが…。
1年の時、ピストルが鳴ったかと思うとたちまち鬼の様な形相の先輩が迫って来た!
すぐに顔を背けたが、瞬間背中に激痛が…。
「グエッ!」
ドカッ!バキッ!
あとは踏んだり蹴られたり、目前では同級生が殴られていた
勝ったのか、負けたのかって…そんなもの覚えてません…。
2年の時も同様で、ボカスカ殴られ蹴られ…トホホ。
3年になったら、フフフフ…。「やったるでぇー!」
白うさぎと同級生のモリヤンは、生意気な雅楽部の2年を「絶対シバいたる!」と心に固く誓っていた。なんせ1年に一度だけ合法的に暴力が許される日なのだ!
ところが、まさかまさかのルール変更である!
何と白うさぎが3年になって急に「暴力禁止」が明記された!
実はそれまで先生や先輩による体罰や制裁といったものは半ば黙認されてきた経緯があったのだが、急に風向きが変わったのである。
「2年までは殴られ損かよ~」白うさぎ達が怒った事は言うまでもない。
でも、実際に競技が始まると闘争本能は止められないわね…。
ピストルが鳴ると同時に、白うさぎ達は狙いをつけていた2年へ向かう…ハズだった。
ところが、その2年もピストルと同時に猛然と戦場を離脱した。自分が狙われてるのを重々承知していたのだろう。全く食えない奴だ。
モリヤンはモリヤンで自分のリストにあるナンバー2以下をシバきに行った
白うさぎはたまたま目の前に棒が倒れてきたので長身を生かし旗をジャンプ一番引き抜いた。
結果的に人を殴らずに済んで良かったのか…。
モリヤン?競技終了の合図が鳴ってもシバいてたなぁ~
「男子校」って独特の雰囲気があるんだよね。
「男臭さ」ってある意味魅力なのかも知れないけど、若さとエネルギーが有り余ってるし、異性を意識しない訳じゃないし、鬱屈したエネルギーをどっかしらで発散させなければ、あれだけの集団だ。問題の一つや二つ起こっても不思議じゃない。
そう考えると「運動会」はいいガス抜きになっていたのかもしれないなぁ~。
今となってはいい思い出だ。
※この記事を書いている時に「帰って来たヨッパライ」の作曲者である加藤和彦氏が亡くなったとのニュースが入って来た!
「帰って来たヨッパライ」はリアルタイムでは知らないけど、「はじめ人間ギャートルズ」の挿入歌だったので親しみがあった。高校時代には「サディスティック・ミカ・バンド」の再結成というのもあったなぁ。
「自殺か?」との報道もあったが、残念だ…合掌…。
その栄えある1期生であるKちゃんがある日こんな事を言っていた。
「昔の運動会は何であんなに楽しかったんやろー」
確かに少子化や教育方針の転換などにより、運動会も昔とは大きく様変わりしてしまった様に思える。
例えば「騎馬戦」や「棒倒し」などは絶滅したのではないかとさえ思える。
10年ほど前に長浜市内の特別養護老人ホームに勤務していた頃、地元の中学校から招待状が届いて数人の利用者さんを連れて「観覧席」で観戦した事がある。
生徒さん達は一生懸命競技に取り組んでいたと思うのだが、白うさぎにとってはひどく「退屈」なものに感じられた。
なぜか?
それはプログラムの大半が「徒競争」と「リレー」で占められていたからだ。
全員参加の徒競争、全員参加の「団対抗リレー」「学年別リレー」など、延々と生徒が走っている姿を見せられるのである。途中から見たら一体プログラムのどの辺なのかさっぱりわからない。
また「全員リレー」などは確かに順位が激しく入れ替わるので面白いと言えば面白いのだが、いかんせん競技時間が長過ぎて、間延びしてしまう。
これは白うさぎの感じ方なので、他の人はどうなのかわからないが、こういうプログラム構成はいかがなものか?と思った。
「運動会」って「オリンピック」みたいに、様々な競技があるから面白いのではないのか?
ただ足が速い者だけが勝つ!というもの(「徒競争」とか「リレー」)だけではなく、チームとしての戦い方がものをいうもの(「綱引き」や「騎馬戦」等)や、「運」や「偶然」の要素がからんでくるもの(「障害物競争」や「借り物競走」)、観戦者も見て楽しめるもの(「アメ食い競争」等)があってこそ、「楽しい運動会」なのでは…。
その点、今や統合で消滅した白うさぎの出身高校(全寮制・男子校)の運動会は断トツの面白さだった!
なんせ、1~3位までに入賞すれば「賞品」が貰えるのだ!
…と言っても、「賞品」はノートや鉛筆、シャンプーや石鹸、歯磨き粉など文房具や日用消耗品がほとんどだったが…


全員が全種目に出るという訳でなく、「全員参加種目」と「チーム種目」、「個人種目」とがあり、それぞれホームルームの時間に参加種目を決めていた。
「賞品」が出るのもユニークだったが、競技種目もユニークだった。
運動会の花形「100m走」や「リレー」は当然あったが、以下の食べ物種目には必ずどれか1種目に出場と決まっていた。
・「早食い競争」(バナナの早食い)
・「早飲み競争」(ラムネの早飲み)
・「八岐大蛇」(小麦粉にまぶした飴玉を探し当てて食べる)
・「パン食い競争」(伝統的なあんパンを食べるもの)
以上の4種目である。
この競技、普通に速さのみを競っていては何にも面白くない。(見てる方がね…

中にはレースに出場する選手同士が示し合わせて、わざと食べ物が置いてある所まではゆっくり歩いて行き、みんなで「いただきます」をしたり…というパフォーマンスがあったりした。(そして周囲からは盛んに「裏切れ!」「裏切れ!」の野次が飛ぶ

あくまでフェアプレーに徹する者もあれば、土壇場で裏切り行為に走る者もいて競技を盛り上げたものだ。
また、ラムネの早飲みのコツとしては、瓶を思いっきり振ってからフタを叩いて飛ばし、炭酸をあふれさせて飲む量を減らす事なのだが、1年の時の担任の教師(何と!教師も参加するのも特徴なのだ


「チーム種目」には、「百足競争」などがあったが、「帰って来たヨッパライ」という種目をぜひとも紹介したい。
白うさぎは3年間この競技に出場したが、ルールはいたって簡単。
①スタートしてA地点に向かう。
②A地点に円が描かれており、バットが置かれている。
③バットをおでこにあててその場で10回回る。
④回り終わったらB地点に向かう。
⑤B地点には近江商人におなじみの天秤棒に10キロほどの重りがついたものが置いてある。
⑥天秤棒を担いで折り返し点まで走る。
⑦折り返し点を回ったら、再びB地点まで戻り天秤棒を置く。
⑧スタート地点まで戻って次走者へタッチ!
A地点でのバットクルクルが終わった時点で既に大半の者は目が回って真っ直ぐ走れない状態だ。
もう足をもつれさせながら這う様にしてB地点に駆け込むのが精一杯だ。
ひどいケースになるとバット持ったまま転倒したり、回転しながらあらぬ方角へフラフラと行ったりする者もいた。
天秤棒に手を伸ばそうとしているのに、足だけ別の方角へどんどん行ってしまった同級生の場合なんか、本当に気の毒だったが大爆笑してしまった

内容もハードだったが、一番笑いのとれる種目であった。
この他「借り物競走」「障害物競争」「マラソン」「PK合戦」「クラブ対抗リレー」などがあった。
さてここで問題の「騎馬戦」と「棒倒し」を取り上げたい。
白うさぎの母校は男子校だったから、バイオレントな空気プンプンである。
「騎馬戦」については、ルール上は「暴力禁止」である。(当たり前だが…

しかしそれが「タテマエ」に過ぎないのは実際に競技がスタートしてから思い知らされる…。
騎馬戦の暴力行為って馬上で繰り広げられるものばかりではない。
土台を担当した白うさぎなど、先輩に嵐の様なローキックをお見舞いされた

1年の時に上に乗せた先輩は狂犬の様な人で、まさに相手に「襲いかかって」いった。
こちらも必死で支えたが、土煙りとともに互いの騎馬が崩れた!
一瞬土煙りで何も見えなくなった…と思ってたら、先輩、相手選手に殴りかかっているではないか!?
そしたらさらに大きな影が横切ったと思ったら、鬼のような形相の寮の幹事が「止めに入った!」(実際は先輩に殴りかかって止めた)
先輩は羽交い絞めにされながらも暴れているし…全くひどいもんだった。はぁ~。
「騎馬戦」より最悪なのが「棒倒し」だ。
この競技、タテマエ上も「暴力禁止」を謳っていなかったから全くひどい

皆さんもご存じの通り、「棒倒し」の競技のルールは、皆で支える棒を打ち倒すか、棒の先に付けられた旗を取るかで勝敗が決まる。
棒を支える土台は2年が担当、1年は外周を固め、3年が攻撃を担当するのだが…。
1年の時、ピストルが鳴ったかと思うとたちまち鬼の様な形相の先輩が迫って来た!
すぐに顔を背けたが、瞬間背中に激痛が…。
「グエッ!」
ドカッ!バキッ!
あとは踏んだり蹴られたり、目前では同級生が殴られていた

勝ったのか、負けたのかって…そんなもの覚えてません…。
2年の時も同様で、ボカスカ殴られ蹴られ…トホホ。
3年になったら、フフフフ…。「やったるでぇー!」
白うさぎと同級生のモリヤンは、生意気な雅楽部の2年を「絶対シバいたる!」と心に固く誓っていた。なんせ1年に一度だけ合法的に暴力が許される日なのだ!
ところが、まさかまさかのルール変更である!
何と白うさぎが3年になって急に「暴力禁止」が明記された!
実はそれまで先生や先輩による体罰や制裁といったものは半ば黙認されてきた経緯があったのだが、急に風向きが変わったのである。
「2年までは殴られ損かよ~」白うさぎ達が怒った事は言うまでもない。
でも、実際に競技が始まると闘争本能は止められないわね…。
ピストルが鳴ると同時に、白うさぎ達は狙いをつけていた2年へ向かう…ハズだった。
ところが、その2年もピストルと同時に猛然と戦場を離脱した。自分が狙われてるのを重々承知していたのだろう。全く食えない奴だ。
モリヤンはモリヤンで自分のリストにあるナンバー2以下をシバきに行った

白うさぎはたまたま目の前に棒が倒れてきたので長身を生かし旗をジャンプ一番引き抜いた。
結果的に人を殴らずに済んで良かったのか…。
モリヤン?競技終了の合図が鳴ってもシバいてたなぁ~

「男子校」って独特の雰囲気があるんだよね。
「男臭さ」ってある意味魅力なのかも知れないけど、若さとエネルギーが有り余ってるし、異性を意識しない訳じゃないし、鬱屈したエネルギーをどっかしらで発散させなければ、あれだけの集団だ。問題の一つや二つ起こっても不思議じゃない。
そう考えると「運動会」はいいガス抜きになっていたのかもしれないなぁ~。
今となってはいい思い出だ。
※この記事を書いている時に「帰って来たヨッパライ」の作曲者である加藤和彦氏が亡くなったとのニュースが入って来た!
「帰って来たヨッパライ」はリアルタイムでは知らないけど、「はじめ人間ギャートルズ」の挿入歌だったので親しみがあった。高校時代には「サディスティック・ミカ・バンド」の再結成というのもあったなぁ。
「自殺か?」との報道もあったが、残念だ…合掌…。
タグ :運動会帰って来たヨッパライ