
2010年07月19日
「中山道醒井宿へ梅花藻を見に行く」の巻
近畿地方も梅雨明け宣言がなされ、いよいよ「夏本番」である。
梅雨明けの照りつける太陽がまぶしい。
春から小学校に入ったチビうさ1号は元気に学校に行っていたものの、ここに来て疲れが出たのか先週半ばに嘔吐、かかりつけ医へ連れていくと自ら「てんてきをしてください…」と訴え点滴施行、しかし翌日も嘔吐して長浜赤十字病院へ入院する事となった。
ママうさぎが病院へ付き添う事となった為、二晩白うさぎがチビうさ2号と3号の面倒をみることになった。
チビうさ達もいい子にしてるからそんなに苦労はなかったが、寝かしつけをしながら寝てしまった。
近所のママ友が「言ってくれたらいいのに…水臭い」と言ってくれてありがたかった。
チビうさ1号も退院してみんながそろった週末、『おたっしゃ倶楽部』のお出かけ行事の下見を兼ねてちょっと醒井まで出かけた。

「醒井湧くわく街道」案内図

「旧醒井郵便局」大正時代にW.M.ヴォーリズも建設に参加したという洋風建築の郵便局。今は醒井宿資料館として活躍。
以前近江兄弟社に勤めていたから建築家としても有名なヴォーリズさんの建物がここにもあったと思うと興味深い。
醒井宿沿いに流れる地蔵川は清流だ。
その流れに梅花藻が咲き乱れる醒井宿。
梅花藻自体は6月には咲き始めるが、水量が少なくなってくると川面に映える梅花藻の花がとてもきれいだという。



さて、梅雨の大雨で地蔵川の水量はこんな感じ。
ちらほらと咲いた梅花藻も見えるが、まだまだ見ごろは先かな。

「梅花藻」
出店に飾ってあったのを撮影させてもらった。
冷やしトマトがおいしそうだったよ。

ヤマトタケルを癒した「居醒の清水」を源泉とする地蔵川はとても冷たい。

「十王水」
平安時代に天台宗の僧・浄蔵貴所によってひらかれ、はじめは「浄蔵水」と呼ばれていたが、近くに「十王堂」があったことから後に「十王水」と呼ばれる様になったという。
時間がなくてルートの全てを散策できなかったが、また満開の頃にきたいなあ~。
大好きな「飛び出し坊や」の看板を何点か。
この手作り感がなんとも言えずいいね~。


梅雨明けの照りつける太陽がまぶしい。
春から小学校に入ったチビうさ1号は元気に学校に行っていたものの、ここに来て疲れが出たのか先週半ばに嘔吐、かかりつけ医へ連れていくと自ら「てんてきをしてください…」と訴え点滴施行、しかし翌日も嘔吐して長浜赤十字病院へ入院する事となった。
ママうさぎが病院へ付き添う事となった為、二晩白うさぎがチビうさ2号と3号の面倒をみることになった。
チビうさ達もいい子にしてるからそんなに苦労はなかったが、寝かしつけをしながら寝てしまった。
近所のママ友が「言ってくれたらいいのに…水臭い」と言ってくれてありがたかった。
チビうさ1号も退院してみんながそろった週末、『おたっしゃ倶楽部』のお出かけ行事の下見を兼ねてちょっと醒井まで出かけた。
「醒井湧くわく街道」案内図
「旧醒井郵便局」大正時代にW.M.ヴォーリズも建設に参加したという洋風建築の郵便局。今は醒井宿資料館として活躍。
以前近江兄弟社に勤めていたから建築家としても有名なヴォーリズさんの建物がここにもあったと思うと興味深い。
醒井宿沿いに流れる地蔵川は清流だ。
その流れに梅花藻が咲き乱れる醒井宿。
梅花藻自体は6月には咲き始めるが、水量が少なくなってくると川面に映える梅花藻の花がとてもきれいだという。
さて、梅雨の大雨で地蔵川の水量はこんな感じ。
ちらほらと咲いた梅花藻も見えるが、まだまだ見ごろは先かな。
「梅花藻」
出店に飾ってあったのを撮影させてもらった。
冷やしトマトがおいしそうだったよ。
ヤマトタケルを癒した「居醒の清水」を源泉とする地蔵川はとても冷たい。
「十王水」
平安時代に天台宗の僧・浄蔵貴所によってひらかれ、はじめは「浄蔵水」と呼ばれていたが、近くに「十王堂」があったことから後に「十王水」と呼ばれる様になったという。
時間がなくてルートの全てを散策できなかったが、また満開の頃にきたいなあ~。
大好きな「飛び出し坊や」の看板を何点か。
この手作り感がなんとも言えずいいね~。
2010年07月14日
「帰ってきました」の巻
ずいぶん長い間ブログの更新をできないでいた。
ちょくちょく拙ブログをのぞいてくれていた人達には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
『おたっしゃ倶楽部』所長として多忙な日々を送っている上、昨年末より闘病生活を送る父親の為、滋賀と実家のある新潟とを往復する生活…そうこうしているうちに白うさぎも気がつけば不惑を迎えていた。
一時はブログも閉鎖するつもりだったが、せっかく続けてきたのにもったいない気持ちもあり、いつか再開しようとそのままにしておいた。
しかしあまり張りつめた生活を送っていると人間、精神のバランスが崩れてくる。
以前の様にブログでぐだぐだガス抜きをしていこうと思いブログを再開する事にした。
タイトルも若干変更し、出直すことにしたのでまたよろしくお願いします。
ちょくちょく拙ブログをのぞいてくれていた人達には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
『おたっしゃ倶楽部』所長として多忙な日々を送っている上、昨年末より闘病生活を送る父親の為、滋賀と実家のある新潟とを往復する生活…そうこうしているうちに白うさぎも気がつけば不惑を迎えていた。
一時はブログも閉鎖するつもりだったが、せっかく続けてきたのにもったいない気持ちもあり、いつか再開しようとそのままにしておいた。
しかしあまり張りつめた生活を送っていると人間、精神のバランスが崩れてくる。
以前の様にブログでぐだぐだガス抜きをしていこうと思いブログを再開する事にした。
タイトルも若干変更し、出直すことにしたのでまたよろしくお願いします。
2009年12月25日
「嗚呼、鳩山首相…」の巻
総選挙大勝の熱気もどこへやら、政権奪取して100日にして民主党政権は迷走に次ぐ迷走。
閣僚も幹事長も連立相手も好き勝手ばかり、首相として何らリーダーシップも発揮できずもはや「死に体」の体をなしてきた鳩山政権。英紙には「血流停止した亡霊」とか書かれちゃうし…。
そもそも「民主党政権」と言っても内閣の中には既に閣僚を経験した方もおられ、党内にも「剛腕」小沢氏をはじめ自民党出身者や元官僚もいる訳で、少なくとも政権運営の素人ではない。
だから鳩山首相がおっしゃった「試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思うが、国民には寛容であってほしい」などと言うこと自体が間違っている。
そもそも「ネクスト・キャビネット」って、いつでも政権交代できる為のものでしょ。
鳩山首相は何度も「最後は私が決断する」と繰り返していたが、それも聞き飽きた。
で、結局は決断できずに、結果は「先送り」って…ギャグですか!?
待ったなしの状況だというのに、政治家はのんきな商売ですな。
さて昨夜元秘書の起訴を受けて、急遽鳩山首相より説明の為の会見が行われ、NHKの18時のニュースで見た。(「首相」としてでなく「衆議院議員」としての会見だそうだ)
野党時代に自民党を攻撃していた時の歯切れの良さはどこへやら、目は虚ろでウルウル
最早半泣き状態(必死で「いじめんといて…」と訴えている様にも見えた)、ぼそぼそと一体何をしゃべっているのかさっぱりわからない会見だった。
だらだらと原稿に目を落としながら15分ほどしゃべっておられたが、結局首相も議員も辞職しないそうだ。
「最後くらい潔くせいよ」と思っていたのに、全くがっかりさせられた。だから今日は本当に腹が立った。
過去に「秘書の罪は政治家の罪」「鳩山由紀夫の秘書が同じ事をしたら議員バッジを外す」などと発言しておられたが、「私腹を肥やした訳でない」からOKなのだそうだ。
私腹を肥やした訳でないから「脱税」はOKらしい…。
ブルネイを訪問した際に、納税の義務がない事を羨ましがっておられたが、あれは「宇宙人」なりのブラック・ジョークなのだろう。
先日白うさぎが保有する会社の株式の配当金が入ったが、2万円程の支給にもしっかり税金が4千円差っ引かれていた。サラリーマンは微々たる金額でもしっかり税金を払わされている。
以前麻生首相にカップラーメンの値段を質問した「AHO議員」がいたが、「育ちのいい」このお方にも永遠にわからないだろう。ちなみに白うさぎがカップラーメンを買う基準は100円前後である。
「国民目線」をいくら強調しても所詮「お金持ちのボンボン」、「言うだけ番長」は真っ平ご免だ!
閣僚も幹事長も連立相手も好き勝手ばかり、首相として何らリーダーシップも発揮できずもはや「死に体」の体をなしてきた鳩山政権。英紙には「血流停止した亡霊」とか書かれちゃうし…。
そもそも「民主党政権」と言っても内閣の中には既に閣僚を経験した方もおられ、党内にも「剛腕」小沢氏をはじめ自民党出身者や元官僚もいる訳で、少なくとも政権運営の素人ではない。
だから鳩山首相がおっしゃった「試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思うが、国民には寛容であってほしい」などと言うこと自体が間違っている。
そもそも「ネクスト・キャビネット」って、いつでも政権交代できる為のものでしょ。
鳩山首相は何度も「最後は私が決断する」と繰り返していたが、それも聞き飽きた。
で、結局は決断できずに、結果は「先送り」って…ギャグですか!?
待ったなしの状況だというのに、政治家はのんきな商売ですな。
さて昨夜元秘書の起訴を受けて、急遽鳩山首相より説明の為の会見が行われ、NHKの18時のニュースで見た。(「首相」としてでなく「衆議院議員」としての会見だそうだ)
野党時代に自民党を攻撃していた時の歯切れの良さはどこへやら、目は虚ろでウルウル

だらだらと原稿に目を落としながら15分ほどしゃべっておられたが、結局首相も議員も辞職しないそうだ。
「最後くらい潔くせいよ」と思っていたのに、全くがっかりさせられた。だから今日は本当に腹が立った。
過去に「秘書の罪は政治家の罪」「鳩山由紀夫の秘書が同じ事をしたら議員バッジを外す」などと発言しておられたが、「私腹を肥やした訳でない」からOKなのだそうだ。
私腹を肥やした訳でないから「脱税」はOKらしい…。
ブルネイを訪問した際に、納税の義務がない事を羨ましがっておられたが、あれは「宇宙人」なりのブラック・ジョークなのだろう。
先日白うさぎが保有する会社の株式の配当金が入ったが、2万円程の支給にもしっかり税金が4千円差っ引かれていた。サラリーマンは微々たる金額でもしっかり税金を払わされている。
以前麻生首相にカップラーメンの値段を質問した「AHO議員」がいたが、「育ちのいい」このお方にも永遠にわからないだろう。ちなみに白うさぎがカップラーメンを買う基準は100円前後である。
「国民目線」をいくら強調しても所詮「お金持ちのボンボン」、「言うだけ番長」は真っ平ご免だ!
タグ :鳩山首相
2009年12月01日
「北陸自動車道の車窓から」の巻
さらば「NIIGATA」
…という事で、北陸自動車道を滋賀へ向かう道中で撮影した名所(迷所
)の写真を…。

Jリーグの「アルビレックス新潟」のホームスタジアムである「東北電力ビッグスワンスタジアム」
試合日はチームカラーのオレンジに染まる。
以前帰省の時に前を走っている車がアルビサポーターの車で、すご~くうらやましかった。
あんな娯楽も何にもない田舎だった新潟県も変わったな~と感じたものだ。

かつて故・田中角栄元総理が社長を務めた「越後交通」のバスを発見!!
なんかインパクトのある似顔絵が…。

接近して激写
「聞きなせ~」って「新潟弁」丸出しですやん
発音すると限りなく「きぎなせ~」に聞こえると思う。(濁音が多くなる)
パーソナリティーの似顔絵だと思うんだけど誰なんだろう

「美川IC」近くに出現する「美川 県一(ケンイチ)の町」の看板
石川県石川郡美川町は合併で「白山市」となったが、この看板だけは残したかったのか…。

石川県の超有名スポット(
)「松井秀喜ベースボールミュージアム」
一瞬で思わずブレてしまった~い

眼鏡の街「鯖江市」を象徴する巨大看板
何と鯖江で生産される眼鏡フレームの国内シェアは96%、世界シェアでも20%を誇る。
白うさぎ夫妻の眼鏡も鯖江産である。
安いので鯖江まで買いに出かけているのだ。
朝7:30に実家を出発して自宅へ帰り着いたのは、16:00を回っていた。
長旅であったが無事に帰りつけてよかった~
…という事で、北陸自動車道を滋賀へ向かう道中で撮影した名所(迷所


Jリーグの「アルビレックス新潟」のホームスタジアムである「東北電力ビッグスワンスタジアム」
試合日はチームカラーのオレンジに染まる。
以前帰省の時に前を走っている車がアルビサポーターの車で、すご~くうらやましかった。
あんな娯楽も何にもない田舎だった新潟県も変わったな~と感じたものだ。

かつて故・田中角栄元総理が社長を務めた「越後交通」のバスを発見!!
なんかインパクトのある似顔絵が…。

接近して激写

「聞きなせ~」って「新潟弁」丸出しですやん

発音すると限りなく「きぎなせ~」に聞こえると思う。(濁音が多くなる)
パーソナリティーの似顔絵だと思うんだけど誰なんだろう


「美川IC」近くに出現する「美川 県一(ケンイチ)の町」の看板
石川県石川郡美川町は合併で「白山市」となったが、この看板だけは残したかったのか…。

石川県の超有名スポット(

一瞬で思わずブレてしまった~い


眼鏡の街「鯖江市」を象徴する巨大看板
何と鯖江で生産される眼鏡フレームの国内シェアは96%、世界シェアでも20%を誇る。
白うさぎ夫妻の眼鏡も鯖江産である。
安いので鯖江まで買いに出かけているのだ。
朝7:30に実家を出発して自宅へ帰り着いたのは、16:00を回っていた。
長旅であったが無事に帰りつけてよかった~

2009年09月15日
シリーズ・夏の想ひ出~「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の巻
この夏
「同窓会をするがら出席しねが~」
と小学校からの同級生の千亜紀から連絡があった。
中学校の同窓会は今までに平成12年、14年と2回開催されているが、久し振りの同窓会だ。
何とか休みの調整をつけて出席する事にした。
先のエントリで報告した通り、夜行の急行「きたぐに」に乗って新潟へと向かった。
白うさぎの母校は今はもう存在しない「山北町立南中学校」である。
今ではこんな姿に⇒「交流の館 八幡」
白うさぎの実家のある地域は田舎だったから同姓が多い。
だからみんな基本的にファーストネームで呼び合う。(まれに「屋号」やニックネームで呼ぶこともあったが…)
多い姓は「佐藤」「斎藤」「本間」「富樫」「大滝」「加藤」といったところ。
そう言えば村人全員「佐藤」姓の村なんかもあった。
白うさぎの姓は町内で1軒だけだったと思うが、それでもファーストネームで呼ばれる事が多かったから、高校に入ってファミリーネームで呼ばれた時は妙にうれしかった記憶がある。
小学校、中学校時代は実際のところいい思い出ばかりでなかったし、元々白うさぎ家は地域では余所者であった為か、地縁・血縁関係も深くなく、更に高校からは奈良県で過ごした為に、余計故郷と縁遠くなった。
おまけに今よりも社交的な性格でない、いわゆる「ネクラ」な少年だったから友人も少なかった。
大学で色々な事を見聞する内に視野が広がった結果、白うさぎ自身も「田舎もん」だったけど、「田舎もん(というよりは田舎もん的な発想)」が大嫌いになった。
大学時代、町役場から町外に出ている若者の「Uターン意識調査」と題して、「どうすれば地元に若者が根付くか?」というアンケート調査が郵送されてきた事があった。
以前見た調査結果に「遊ぶ所がない」というのがあったのを思い出し、「馬鹿こくでね!」とばかりに、「若者が根付くかどうかという考えに縛られていること自体着眼点がズレている!発想を転換して、年をとっても暮らしやすい街にする!という発想で街づくりを!」と書いて送ってやった。
白うさぎの自宅は駅前通りだったが、通勤・通学の人の顔ぶれを見てると「若者率」がメチャメチャ低い!それもそのはず、中卒で就職する者もいたが、同級生の大部分は高校を卒業すると都会へ出て行ってしまうからだ。残されるのは若年層を除いた人達。
中高年層はどんどん年老いていくし、地域から活力がどんどん失われていく訳だ。消防団や祭の運営の中心的な役割を果たす青年団は結局解散してしまった。
人は遊ぶ所があるから集まるのじゃなくて、人が集まるから遊ぶ所ができるというのが普通だろう。
若者が根付く事は確かに大事だが、そんな事よりも今住んでいる人が安心して暮らせる街にしていく為には何をすればいいのか?を考える事が大切だろう。そしたら逆に外へ出ている人達も戻ってくるかもしれないではないか?
大体どうしたら「成人式」の余興で「フルーツ・バスケット」をしようという発想が出てくるんだ?こういう発想じゃ「ダンスタイム」は絶対「フォークダンス」に違いない。
あの当時は「だから田舎もんは!」と、発想が貧困なのに本気で腹立たしかった。
あのアンケートがその後どうなったかわからない。しかし白うさぎの発想自体は間違っていなかったと今でも思う。
その後、廃校となった南中学校のグランド跡地に、過疎地や救急医療に力を入れる徳州会病院が進出して医療面での安心が得られた。
故竹下登首相の「ふるさと創生」資金を使って温泉を掘り当て温泉施設ができ、特別養護老人ホームができ、地元の人が働く場所ができた。
少なくとも以前よりかは確かに便利は良くなった。曲がりなりにも白うさぎの発想に近い形で田舎が変わったのである。
大学を卒業し、何度かそんな田舎へ戻る機会はあったが、結局戻らず今にいたっている。
しかし例えUターンしたとしても生まれた土地に住もうという気はさらさらなかった。
田舎独特の地縁・血縁がモノを言う社会になじめなかったからだ。
ところが不思議なものだ。年を取ったからなのかどうかわからないが、あれだけ毛嫌いしていた田舎に対する思いも大分変わって来た。
高校野球がなぜこんなにも日本人の心に訴えるのか?という答えの一つに、その開催時期があげられるという。夏は「お盆」、春は「出会いや別れの季節」、人々は知らず知らず故郷を意識させられるそうだ。
確かに、高校野球では「地元」の「滋賀県代表」よりも、「郷土」の「新潟県代表」を応援してしまう。
今年は日本文理高校がまさかまさかの決勝進出で、「長い夏」を堪能させてもらえた。
今後このような事は当分ないだろうから貴重な体験だった。
郷土への思いが募るのと裏腹に、その田舎も徐々にさびれ、いわゆる「限界集落」の体たらくである。
そのうち帰る田舎が消滅するんじゃないかと本気で思ってみたりする。
旧新潟県岩船郡山北町は、黒川俣(くろかわまた)村、八幡(やはた)村、大川谷(おおかわだに)村、中俣(なかまた)村、下海府(しもかいふ)村の5か村が合併してできた山北村が町制を施行してできたものである。
今では「平成の大合併」により「新潟県村上市」となっている。時代の流れとはいえ本籍地が変わることは寂しさを覚える。
過疎高齢化に悩む地域でもあるが、白うさぎが中学校に通っていた当時の山北町の人口は1万人弱。
町内には9つの小学校(大川谷、中継、小俣、雷、山熊田、黒川俣、八幡、寒川、桑川)、4つの中学校(大川谷、中俣、山熊田、南)と高校の分校(村上高校山北分校)があった。
ところが今では小学校2つ(さんぽく北、さんぽく南)、中学校1つ(山北)になってしまった。
白うさぎの母校は小学校も中学校も統廃合によって消滅してしまっている。(ちなみに高校も統合されて今はない)
山北南中学校は、黒川俣地区、八幡地区、下海府地区の3地区にある4つの小学校(黒川俣、八幡、寒川、桑川)の卒業生が通う中学校であった。白うさぎはその第14回卒業生になる。
さてさて、同窓会の話題に戻る。
今回集まったのは30名ほど。同級生の1/3だ。
場所は、同級生の勝雄が後を継いだ仕出し料理屋「大滝食品」
「みんな、勝雄に嫁さ紹介すてくれ~」と今や「社長」と呼ばれる勝雄の母ちゃんが料理を並べながら言う
いいヤツなんだけどな~何せ田舎(いなが)は若者(わげもん)がいねがらの…。
ちなみに彼は中学時代から「北斗の拳」のケンシロウばりの筋骨隆々とした体格で柔道の県大会で2位になった男だ。お盆の仕出しの注文が入ってかきいれどきだと大忙しである。
地元の銘酒「〆張鶴」の大吟醸で乾杯
して同窓会は幕を開けた。
昔の面影のあるヤツ、ないヤツ。久し振りに会う顔はどれもこれも懐かしい。
4人の子持ちになっている子もいれば、既に高校生の子供がいる子もいる。
未だに独身貴族もいれば×がついた者もいる。リストラされて求職中の者がいると、こんな田舎にも世界的な不況の影響が来ているのかと実感する。
でもやはりみんな新潟県民。よく飲むわ~。
「なに~、○○(白うさぎの事)てば同窓会の為だけに帰って来たんだか~。そら元とらねばね~、おらの分も食え~。」と岩ガキを白うさぎに勧める同級生の加奈子。東京都下に住んでいるのに地元に帰ると方言に戻るみたいだ
「なかなかできねぜ~。」と英司。ちょっと照れ臭い
幹事の千亜紀に聞いたら、白うさぎは一番遠方に住んでいるみたいだ。
同級生達は地元に住んでいる者はそう多くなく、新潟市内や関東方面などの都市部に居住する者が多い。
だから盆か正月じゃないとなかなか顔を合わせられない。
しかし一つ気がかりな事が…。
白うさぎの卒業した八幡小学校の同級生は42名。中学校の同級生の約半数を占める大勢力なのに、出席者の1/3に満たず、あまりにも出席率が悪い。
仕事の都合で来れない者もいた様だが、出欠確認の連絡に奔走した千亜紀に聞くと「う~ん。出たぐねんじゃね~。」と言う。
同じく幹事の美鈴に聞いても「やっぱり、あの事が気になってるんじゃね。」と言う。
「あの事」とは、白うさぎが大学時代に行われた小学校の同窓会で、同級生の女の子が急性アルコール中毒で帰らぬ人となった一件だ。
小学校を卒業する時に、担任の先生と「10年経ったら再会しよう」と約束してそれが叶った日が悲しみの日となってしまったのだ。以来小学校の同窓会は行われていない。
白うさぎは寮の外泊許可が下りず帰省できず、出席できなかった事を悔んだ。
その後、母校の教育実習で帰省した際に、彼女の仏壇に手を合わせることができたが、出席できなかったの悔いはずっと残るだろう。
当時の出席者の中には未だにこの一件を引きずっている様で出席には消極的だという。
最もそれは口実にすぎず、他にも理由はあるのかもしれないが、あんなに一体感のあった小学校の同級生が残念な事だ。
さらにもう一人同級生がくも膜下出血で亡くなったという話も聞いた。
もう同級生が全員揃う事は永遠にないんだと思うと寂しい。
来年はいよいよ不惑に突入する白うさぎの学年。
次に会う時にはみんなどんな風になっているのだろう?
生活自体は今と変わらない、田舎へも帰らない、でもどこかで「生まれ故郷とのつながり」を求める気持は強くなっていくに違いない。同窓会はそんな「つながり」を確認する機会なのだ。
「同級生なんて家族みたいなもんだ~。何を遠慮する事いらんだ~。」加奈子が言った。
まさにその通りだ。次回はもっと多い同級生と顔を合わせたいな。
「同窓会をするがら出席しねが~」
と小学校からの同級生の千亜紀から連絡があった。
中学校の同窓会は今までに平成12年、14年と2回開催されているが、久し振りの同窓会だ。
何とか休みの調整をつけて出席する事にした。
先のエントリで報告した通り、夜行の急行「きたぐに」に乗って新潟へと向かった。
白うさぎの母校は今はもう存在しない「山北町立南中学校」である。
今ではこんな姿に⇒「交流の館 八幡」
白うさぎの実家のある地域は田舎だったから同姓が多い。
だからみんな基本的にファーストネームで呼び合う。(まれに「屋号」やニックネームで呼ぶこともあったが…)
多い姓は「佐藤」「斎藤」「本間」「富樫」「大滝」「加藤」といったところ。
そう言えば村人全員「佐藤」姓の村なんかもあった。
白うさぎの姓は町内で1軒だけだったと思うが、それでもファーストネームで呼ばれる事が多かったから、高校に入ってファミリーネームで呼ばれた時は妙にうれしかった記憶がある。
小学校、中学校時代は実際のところいい思い出ばかりでなかったし、元々白うさぎ家は地域では余所者であった為か、地縁・血縁関係も深くなく、更に高校からは奈良県で過ごした為に、余計故郷と縁遠くなった。
おまけに今よりも社交的な性格でない、いわゆる「ネクラ」な少年だったから友人も少なかった。
大学で色々な事を見聞する内に視野が広がった結果、白うさぎ自身も「田舎もん」だったけど、「田舎もん(というよりは田舎もん的な発想)」が大嫌いになった。
大学時代、町役場から町外に出ている若者の「Uターン意識調査」と題して、「どうすれば地元に若者が根付くか?」というアンケート調査が郵送されてきた事があった。
以前見た調査結果に「遊ぶ所がない」というのがあったのを思い出し、「馬鹿こくでね!」とばかりに、「若者が根付くかどうかという考えに縛られていること自体着眼点がズレている!発想を転換して、年をとっても暮らしやすい街にする!という発想で街づくりを!」と書いて送ってやった。
白うさぎの自宅は駅前通りだったが、通勤・通学の人の顔ぶれを見てると「若者率」がメチャメチャ低い!それもそのはず、中卒で就職する者もいたが、同級生の大部分は高校を卒業すると都会へ出て行ってしまうからだ。残されるのは若年層を除いた人達。
中高年層はどんどん年老いていくし、地域から活力がどんどん失われていく訳だ。消防団や祭の運営の中心的な役割を果たす青年団は結局解散してしまった。
人は遊ぶ所があるから集まるのじゃなくて、人が集まるから遊ぶ所ができるというのが普通だろう。
若者が根付く事は確かに大事だが、そんな事よりも今住んでいる人が安心して暮らせる街にしていく為には何をすればいいのか?を考える事が大切だろう。そしたら逆に外へ出ている人達も戻ってくるかもしれないではないか?
大体どうしたら「成人式」の余興で「フルーツ・バスケット」をしようという発想が出てくるんだ?こういう発想じゃ「ダンスタイム」は絶対「フォークダンス」に違いない。
あの当時は「だから田舎もんは!」と、発想が貧困なのに本気で腹立たしかった。
あのアンケートがその後どうなったかわからない。しかし白うさぎの発想自体は間違っていなかったと今でも思う。
その後、廃校となった南中学校のグランド跡地に、過疎地や救急医療に力を入れる徳州会病院が進出して医療面での安心が得られた。
故竹下登首相の「ふるさと創生」資金を使って温泉を掘り当て温泉施設ができ、特別養護老人ホームができ、地元の人が働く場所ができた。
少なくとも以前よりかは確かに便利は良くなった。曲がりなりにも白うさぎの発想に近い形で田舎が変わったのである。
大学を卒業し、何度かそんな田舎へ戻る機会はあったが、結局戻らず今にいたっている。
しかし例えUターンしたとしても生まれた土地に住もうという気はさらさらなかった。
田舎独特の地縁・血縁がモノを言う社会になじめなかったからだ。
ところが不思議なものだ。年を取ったからなのかどうかわからないが、あれだけ毛嫌いしていた田舎に対する思いも大分変わって来た。
高校野球がなぜこんなにも日本人の心に訴えるのか?という答えの一つに、その開催時期があげられるという。夏は「お盆」、春は「出会いや別れの季節」、人々は知らず知らず故郷を意識させられるそうだ。
確かに、高校野球では「地元」の「滋賀県代表」よりも、「郷土」の「新潟県代表」を応援してしまう。
今年は日本文理高校がまさかまさかの決勝進出で、「長い夏」を堪能させてもらえた。
今後このような事は当分ないだろうから貴重な体験だった。
郷土への思いが募るのと裏腹に、その田舎も徐々にさびれ、いわゆる「限界集落」の体たらくである。
そのうち帰る田舎が消滅するんじゃないかと本気で思ってみたりする。
旧新潟県岩船郡山北町は、黒川俣(くろかわまた)村、八幡(やはた)村、大川谷(おおかわだに)村、中俣(なかまた)村、下海府(しもかいふ)村の5か村が合併してできた山北村が町制を施行してできたものである。
今では「平成の大合併」により「新潟県村上市」となっている。時代の流れとはいえ本籍地が変わることは寂しさを覚える。
過疎高齢化に悩む地域でもあるが、白うさぎが中学校に通っていた当時の山北町の人口は1万人弱。
町内には9つの小学校(大川谷、中継、小俣、雷、山熊田、黒川俣、八幡、寒川、桑川)、4つの中学校(大川谷、中俣、山熊田、南)と高校の分校(村上高校山北分校)があった。
ところが今では小学校2つ(さんぽく北、さんぽく南)、中学校1つ(山北)になってしまった。
白うさぎの母校は小学校も中学校も統廃合によって消滅してしまっている。(ちなみに高校も統合されて今はない)
山北南中学校は、黒川俣地区、八幡地区、下海府地区の3地区にある4つの小学校(黒川俣、八幡、寒川、桑川)の卒業生が通う中学校であった。白うさぎはその第14回卒業生になる。
さてさて、同窓会の話題に戻る。
今回集まったのは30名ほど。同級生の1/3だ。
場所は、同級生の勝雄が後を継いだ仕出し料理屋「大滝食品」
「みんな、勝雄に嫁さ紹介すてくれ~」と今や「社長」と呼ばれる勝雄の母ちゃんが料理を並べながら言う

いいヤツなんだけどな~何せ田舎(いなが)は若者(わげもん)がいねがらの…。
ちなみに彼は中学時代から「北斗の拳」のケンシロウばりの筋骨隆々とした体格で柔道の県大会で2位になった男だ。お盆の仕出しの注文が入ってかきいれどきだと大忙しである。
地元の銘酒「〆張鶴」の大吟醸で乾杯

昔の面影のあるヤツ、ないヤツ。久し振りに会う顔はどれもこれも懐かしい。
4人の子持ちになっている子もいれば、既に高校生の子供がいる子もいる。
未だに独身貴族もいれば×がついた者もいる。リストラされて求職中の者がいると、こんな田舎にも世界的な不況の影響が来ているのかと実感する。
でもやはりみんな新潟県民。よく飲むわ~。
「なに~、○○(白うさぎの事)てば同窓会の為だけに帰って来たんだか~。そら元とらねばね~、おらの分も食え~。」と岩ガキを白うさぎに勧める同級生の加奈子。東京都下に住んでいるのに地元に帰ると方言に戻るみたいだ

「なかなかできねぜ~。」と英司。ちょっと照れ臭い

幹事の千亜紀に聞いたら、白うさぎは一番遠方に住んでいるみたいだ。
同級生達は地元に住んでいる者はそう多くなく、新潟市内や関東方面などの都市部に居住する者が多い。
だから盆か正月じゃないとなかなか顔を合わせられない。
しかし一つ気がかりな事が…。
白うさぎの卒業した八幡小学校の同級生は42名。中学校の同級生の約半数を占める大勢力なのに、出席者の1/3に満たず、あまりにも出席率が悪い。
仕事の都合で来れない者もいた様だが、出欠確認の連絡に奔走した千亜紀に聞くと「う~ん。出たぐねんじゃね~。」と言う。
同じく幹事の美鈴に聞いても「やっぱり、あの事が気になってるんじゃね。」と言う。
「あの事」とは、白うさぎが大学時代に行われた小学校の同窓会で、同級生の女の子が急性アルコール中毒で帰らぬ人となった一件だ。
小学校を卒業する時に、担任の先生と「10年経ったら再会しよう」と約束してそれが叶った日が悲しみの日となってしまったのだ。以来小学校の同窓会は行われていない。
白うさぎは寮の外泊許可が下りず帰省できず、出席できなかった事を悔んだ。
その後、母校の教育実習で帰省した際に、彼女の仏壇に手を合わせることができたが、出席できなかったの悔いはずっと残るだろう。
当時の出席者の中には未だにこの一件を引きずっている様で出席には消極的だという。
最もそれは口実にすぎず、他にも理由はあるのかもしれないが、あんなに一体感のあった小学校の同級生が残念な事だ。
さらにもう一人同級生がくも膜下出血で亡くなったという話も聞いた。
もう同級生が全員揃う事は永遠にないんだと思うと寂しい。
来年はいよいよ不惑に突入する白うさぎの学年。
次に会う時にはみんなどんな風になっているのだろう?
生活自体は今と変わらない、田舎へも帰らない、でもどこかで「生まれ故郷とのつながり」を求める気持は強くなっていくに違いない。同窓会はそんな「つながり」を確認する機会なのだ。
「同級生なんて家族みたいなもんだ~。何を遠慮する事いらんだ~。」加奈子が言った。
まさにその通りだ。次回はもっと多い同級生と顔を合わせたいな。
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