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2009年04月17日

「桜吹雪と言えば…」の巻

「桜吹雪と言えば…」の巻

今年は満開の桜が一週間にわたり楽しむ事ができてとてもよかった。
散るのも一斉に散ったので、道路は桜吹雪が粉雪の様に路面に降り積もり、轍ができるほどだった。

「桜吹雪」と言えば、この人iconN04
「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」の決め台詞が有名な「遠山の金さん」こと「遠山金四郎景元(とおやまきんしろうかげもと)」を連想する。(以下遠山景元とする)

白うさぎも小さい頃から時代劇が大好きで、よくTV時代劇を見ていたが、西郷輝彦が「江戸を斬る」シリーズで演じた遠山景元が一番好きだった。

TVの時代劇と言えば大抵フィクションだが、劇中で「遊び人の金さん」などと呼ばれていた遠山景元は本当に放蕩生活を送っていたのだ。

彼の生家は跡目相続絡みでなかなか複雑になっていて、それが11年に及ぶ放蕩生活へ繋がるのだが、彼の父親である遠山景晋(かげくに)は長崎奉行や勘定奉行も務めたエリート官僚で、景元と同じ左衛門尉(さえもんのじょう)の肩書を持っていた。

旗本の永井家から明知遠山氏の分家、遠山景好(かげよし)のもとへ養子に入るのだが、この養父・景好に実子・景善(読みは同じかげよし)が生まれてしまったのでさあ大変!

それでも景好は実子でなく養子の景晋に跡目を継がせた。
景晋は景好の実子・景善を養子として遠山の血脈を優先させるのだが、ここでややこしいのは、この景善が生まれる1年前に「金さん」こと景元が生まれてしまっていたのである。

そこで景善も景元を気遣って跡目にしようと養子縁組をするのだが、しかし養父であり義兄の景善が自分より1歳年下であるという事実は、自分の番がいつ回って来るのかと景元を不安にさせ、結果的にぐれて放蕩三昧の日々を送る事になった。

《実際の親子関係》
遠山景好 - 景善
永井直令(なおよし) - 景晋 - 景元

《遠山家の相続上の親子関係》
遠山景好(景善の父) = 景晋(景元の父) = 景善(景好の子だが系図上は孫) = 景元(景晋の子なのに系図の上では孫、養父は年下の叔父であり義兄の景善)


結果的に養父・景善が養父・景晋、養子・景元よりも先に亡くなったので、晴れて景元に跡目が回ってくる事となる。

その後遠山景元はトントン拍子に出世し、勘定奉行、北町奉行、南町奉行、大目付などの要職を歴任する事となる。

時代劇で取り上げられるのは北町奉行時代だ。
北町奉行、南町奉行は江戸の司法、行政を管轄する役所で、現代で言うなら警視庁と地裁と都庁業務を行っている様なものだ。
「北町」、「南町」は単なる呼び名で、管轄区域を意味している訳ではない。見回り区域はあったらしいが、訴訟の受付業務を月替わりで行う月番制をとっていた。非番の月も書類仕事や何やらでかなり多忙な役所だったらしい。

TVの「遠山の金さん」では、よく金さんが、手拭いを濡らしたものを使って悪人をバシバシiconN04とシバき上げる立ち回りが印象深い。

その技を考案したという殺陣師の方に話を聞いた事がある。

「あれは元々ベルト技なんだよ~。それを帯技に応用して生まれたんだ。」

なるほど!ベルトを鞭代わりにする技を帯でやって、さらに手拭いで応用したんだね。

「一度舞台でやった事があるんだけれども、もろに役者さんの顔面に入っちゃってさ~、失神しそうになってたよ~。」

はたかれたら痛いけど、そんなに威力があるとは!悪役がやられるのも大袈裟じゃないんだね~。

また太秦の映画村に行きたくなってきた。



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