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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年05月12日

「嗚呼!すれ違い…」の巻






京阪電車大津線「浜大津」駅の陸橋から眺めた京阪600形電車同士のダイナミックなすれ違い。


思わせぶりなタイトルであるが…
携帯電話が普及していない頃、人々の織りなす「すれ違い」は数々のドラマを生んだ。
物理的なすれ違いだけではない、人々の感情のすれ違いや行き違いがドラマを生む、まさに「すれ違いあってドラマあり」


~これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸~

湖都・大津は昔からドラマの宝庫だ。

中大兄皇子(天智天皇)は白村江で一敗地にまみれ百済を救えず、近江・大津へ遷都する。しかし弟・大海人皇子との相克から自分の死後、壬申の乱が起き、息子である大友皇子は自害、大津京は短命に終わった。中大兄皇子・大海人皇子兄弟は額田王をめぐってのラブロマンスもあったりして古代史に彩りを添えている。

大津は交通の要衝でもあった。その名の通り、湖上交通の要でもあり、百人一首にも詠まれた逢坂の関は、東西の旅人や物資が行き交った。また勢多橋は数々の合戦の舞台となっている。

比叡山延暦寺と園城寺(三井寺)は同じ天台宗ながら激しい対立抗争があり、焼打ち事件なども起こしているが、それぞれの僧兵は「平家物語」でも大暴れしている。

同じ「平家物語」を貫くテーマは「盛者必衰の理」だが、平氏を都から追い落とし一時は「朝日将軍」と呼ばれた木曽義仲も例外に非ず、都の治安維持に失敗し、後白河法王とも仲違いした末、源頼朝の差向けた軍勢に敗れ、粟津で戦場の露と消えた。

織田軍団の出世頭・明智光秀は、坂本城を居城としていたが、本能寺で主殺しを達成、一度は天下を手中にしかけたものの西国への使者は届かず、細川幽斎・筒井順慶・中川清秀・高山右近等の与力武将達にはそっぽを向かれ、小栗栖で散った。

近江源氏・佐々木氏の一門・京極高次は、一旦は西軍に味方したものの、変心して大津城へ籠城。苦しい攻防戦を戦い抜いて、毛利秀包・立花宗茂ら西軍・最強軍団を釘付けにし、東軍の関ヶ原における合戦の勝利に貢献した。

江戸時代には東海道の宿場町として大いに栄えた大津。

英雄や民衆が紡ぎだすドラマティックな歴史の宝庫の街である。


そんな街を走る京阪大津線は、湖都・大津の街中を急カーブを繰り返しながら縫うように走りスリル満点。
併用軌道路線では路面電車の気分を楽しみ、東海道の難所・逢坂山へは自動車と並走しながら急勾配を登る。
駅も個性的で一日乗っても本当に飽きが来ない路線だ。
残念ながら京津線の一部は廃線となってしまったが、廃止された路線には一度だけ乗車した事があり、いい思い出になった。

蝉丸が詠んだ様に、列車にゆらり揺られて、行きかう人々を見やりながら、古代からの歴史の流れに思いを馳せるも一興かと…。

「京阪電車大津線 公式webサイト Keihan-o2.com」  


Posted by 白うさぎ at 12:00Comments(3)鉄道のある風景

2009年04月16日

「鉄道のある風景」の巻

高月町森本にある宗禅寺は山門と本堂の間に北陸本線が通っている。


山門から本堂を眺めると、踏切と線路が見える。


ここ数日の雨で桜は散ってしまったが、桜が咲いてたらさぞ、いい写真が撮れたに違いない。


踏切越しに本堂を望む。

今度は電車が通過するところを撮りたいな。  


Posted by 白うさぎ at 08:19Comments(0)鉄道のある風景

2008年03月24日

感謝!!10,000アクセス

もうそろそろ寿命なのか、パソコンの調子が悪く更新を滞っていてまことに申し訳ない。
そうこうするうちに1万アクセスを突破しているではないかっ!!
ありがとうございます。これからもどうぞ「おたっしゃな日々…」をよろしくお願いしますm(__)m

さて先週の日曜日になるのだが、「こほく共同オフィス“たまるん”」にてお知らせのあった鉄道模型展へ鉄道大好きのチビうさ達を連れて行ってきた。


Nゲージのレイアウト(全体はこんな感じ)


Nゲージに見入るチビうさ1号&2号


「あっ!青い電車!!すごーい!!!」


米原公民館へ行ったついでに、隣の市庁舎に展示してある雪かき車「キ555」も見てきた。


雪かき車「キ555」
正面から見るとまさに“くろがねの城”といったところ。


ちょっと説明書きが切れてしまったが、昔は雪も多かったし、かなり活躍したんだろうね。




「大きい車輪だなぁ~」


本当に鉄道大好きのチビうさ達。「もっと見る~」というのを「また今度…」となだめながら米原を後にしたのであった…。



砂遊びならぬ「石遊び」に興じるチビうさ達。彼らによると蒸気機関車の石炭をくべる姿を再現しているらしい…kao11


鉄道の話題といえば、先週の金曜日のこと。
いつもの様にデイサービスの送迎車を運転して、木之本町は千田の踏み切りに差し掛かった時。「あれ?いつもこの時間に踏み切りにつかまったかな?」と考えていると、緑色の「EF81」が通り過ぎて行くではないか!
緑色の「EF81」といえば、豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」を牽引している機関車だが…、ん?、青い客車を引っ張っているゾ…。そして最後尾の車輌には「日本海」の三文字が…。
湖西線を走っているはずの寝台特急「日本海」が、なぜ北陸線を走っているんだiconN06

その疑問は、次にお迎えに行った利用者さんのお宅で解決した。
曰く「湖西線が強風の為、米原経由に変更されてるみたいだよ。」

「へえー」初めて知った。

夕方には、高月駅近くの踏み切りで、今度は「サンダーバード」の行き違いが見れた。
しかも先頭車両は「クロ683」で最後尾車輌は「クロ681」だった。これは「何系」になるのかなあ?「683系」?それとも「681系」?誰か教えてくれ~。

夕刻、保育園にチビうさ達を迎えに行った白うさぎが二人に自慢したのは言うまでもない。


普段「日本海」はこの色の「EF81」が牽引する。


こんな感じ。


白うさぎが目撃したのはこの編成か?


「683系電車」(これは特急「しらさぎ」の「クロ683」)


「681系電車」(特急「サンダーバード」の「クロ681」出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「681系」と「683系」の見分け方は、ヘッドライトの形状とスカートの形状だ。

この春、ますます『鉄道』から目が離せないiconN06


  


Posted by 白うさぎ at 00:29Comments(0)鉄道のある風景

2007年08月13日

将来の夢は…

白うさぎには息子が二人いる。
上の子(チビうさ1号)は8月生まれでもうじき4歳。
下の子(チビうさ2号)は3月生まれで2歳。
二人は年子で毎日一緒に遊んだり喧嘩したりやんちゃ盛りのカワイイ盛り。

チビうさ1号は終戦記念日生まれでもうじき誕生日icon27
先日保育園でお誕生会をやってもらって、持ち帰ってきたカードに「好きなもの…ぶどう」、「なりたいもの…米原駅の車掌さん」と書いてあったkao05

kk_nanaさんのブログによると“幼稚園で受け持っていた女の子の人気お仕事NO1は、何時も【お花屋さーん】”だったそうである。

今や男女共同参画の時代である。そんな中で「男らしさ」「女らしさ」と言うと、たちまちニラまれてしまいそうだが、こういう話はいかにも「女の子らしい」チョイスでホッとする。
だけどチビうさ1号の同じ組の女の子は「ゲキレンジャーになりたい」のだそうで、まあ親御さんは心配かもしれないが、これもまた元気があっていいのではないかと思う。この子とはいつも一緒にやんちゃぶりを発揮しているそうだ。
小さいうちはあまり型にはめずに伸び伸びと育ってほしい。かくゆう白うさぎも小さい頃は、泥んこ、ずぶ濡れで悪さをして、よーく怒られたものだkao07

さて、チビうさ1号にとっては制服・制帽の人はみんな「車掌さん」だ。駅員さんもガードマンも警察官でも見かけると「あっ!車掌さん!」と声を上げる。
小さい頃から何度も何度も繰り返し見ている電車のビデオの車掌さんの制服のインパクトが、余程強く残っているのだろう。それと、米原駅まで新幹線を見に連れて行ったりした時に、シールをもらったり、電車の発車間際に手を振り返してくれたりといった優しさが、彼の心の中にとてもいい印象を植えつけているに違いない。

男の子だから電車なんかに興味があるのは当然だが、ちょっぴり「鉄」分が多いのが気になる…kao08

白うさぎはスポーツ選手なんかになって欲しいと思っているのだが、「車掌さん」でも大いに結構!子供の頃の夢を実現することって素晴らしいことだと思うから。


高月駅に停車していた『EF81交流直流両用電気機関車』


あっという間に通過していった『683系特急しらさぎ』

※特急しらさぎは湖西線を走る特急サンダーバードと同じ683系を使用しているため、チビうさ1号はいつも「サンダーバードや~!」と言っている。  


Posted by 白うさぎ at 20:42Comments(10)鉄道のある風景