
2009年09月28日
「恥ずかしい話」の巻
さて、40年近くも生きてくると色々恥ずかしい思いをした事、やらかした事は数多い…。
大学時代はバレーボール部に所属していた白うさぎ。
春と秋には6チームによるリーグ戦(現在は8チーム制)が行われていて、白うさぎの大学は1部リーグに所属していた。(当時は1~5部まであり5部はA~Cブロックに分かれていた。現在は8部まであるらしい)
1部、2部リーグまではそれなりに大会運営もしっかりしていて、1部リーグでは入場料もとっていたし、審判は近畿各県の協会からA級審判員が派遣され(3部以下は学生が審判を務めるので結構アバウト)、競技者以外にも各大学が割り当てされてラインズマンやボール係、得点係、モップ係などをやっていた。
白うさぎはハードなモップ係を同じ学年のチームメイトと行う事が多かった。(一番楽なのは当然得点係だ
)
コートのモップがけは、コートに落ちた汗を拭きとり、プレーヤーの怪我を防止する為の重要な仕事だ。
モップかけもルール上の定めがあって、白うさぎが入学前は、試合中にタイムをかけ随時モップがけをしていたのが、プレー進行の妨げになるからという理由で、プレーヤー各自がハンドタオルを持って、自ら拭く様に改正となり、モップがけはタイムアウト時やセット間に行われる事になった。(現在は違っているかも…)
「モップ係の戦場」であるバレーボールのタイムアウトは30秒である。
この30秒の間に9メートル×9メートルのコートの全てを拭きとるのは、実際のところ至難の業である。
他大学の学生など片手でモップ持ったりとチンタラやっていて、アタッキングゾーン(ネットから3メートルのゾーン)までしか拭けないのがほとんどであった。(まあ、ジャンプ、着地の動きが多いのはアタッキングゾーン内がほとんどだから、それだけ拭けば十分という考えもあるが…)

バレーボールのコート(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
しかし白うさぎとチームメイトはモップ係の頂点を目指したのだった!(なんのこっちゃ…)
タイムアウト時間内でいかにコート全てを拭き終わるか競争していたのである。
監督が「タイム!」と両手で「T」の字を作ると、副審が「ピピーッ!」とホイッスルを鼓吹しながら「タイムアウト」のサインを出す。
この瞬間に飛び出すのだが、自チームのベンチへ引き揚げてくるプレーヤーとぶつかってはいけない。この間の取り方が実に難しい。
BGMはRosemary Butler 『汚れた英雄』だ。
猛然とダッシュ&ターン
コート全てを拭き終わるのは当たり前、その上でチームメイトより早く拭き上げなければならないのだ。
モップ競争の要はスタートダッシュにあると考えた白うさぎ。
監督が「タイム!」と立ち上がったタイミングを見計らって、スタート姿勢をとればいいのだから、戦況を見つめ「俺だったらこのタイミングでタイムをとるな…」などと考えながらゲームを観る。
バレーボールはリズムのスポーツだから、いかに自チームのリズムを保ち、相手チームのリズムを断ち切るか…ゲームを見る目も大分養われたのは副産物だった。
中にはワンテンポもツーテンポもタイミングが遅い監督がいる。案の定リズムを失ってズルズルいくケースも多い。そこでそのチームの同学年の子に、「お前トコの監督タイム取んの遅くないか?」と聞けば「そやねん!めっちゃ遅いねん!」と返事が返って来た。こんな時には出るタイミングがつかめずに「惨敗」という事もあった。
さて、「あの事件」はリーグ戦最終日の事。
コート上では試合がフルセットにもつれる熱戦が繰り広げられていた。
点数は14-14のジュース、当然一方のベンチが動いた!
読みはバッチリ!抜群のスタートが切れたー!
ところが最初のターンが魔のターンだった!!
猛スピードでターンした瞬間、何と白うさぎ自身が汗に足を取られてしまったのだ!!
バッターン!!
白うさぎの両手はモップを握りしめたまま、哀れガマガエルの様にコートに這いつくばるカタチに…。
瞬間、会場が静まり返った!
(様な気がした…
)
更に次の瞬間、「ワハハ…」
会場全体が爆笑の渦…(の様に見えた…
)
恥ずかしくて顔から火が出そうだったが、とにもかくにも自らの転倒した地点の汗をモップで拭きとり引き揚げたのだった
この後みんなには笑われるわ、負けたチームのキャプテンからは「お前な~あんな場面でこけるか~」と言われるし(でも顔は笑っていた
)、ホント大変だった。
ライバルのチームメイトには後々までネタにされてしまったのであった。
さて
ライバルだったチームメイトは、今や全国屈指のバレーボールの名門校のコーチとして頑張っているw(゜o゜)w
そのチームメイトから何と6~7年ぶりに電話があった。
6~7年前、TVで春高バレーを見ていたらベンチに座っているのが写って、エールの電話をした。この時忙しかったのか、ぶっきら棒に切られた。(元々ぶっきら棒な奴だったが…)
しかし、これが心残りだったらしい…。
今年の秋季国体は新潟県。兵庫選抜チームとして新潟へ行くのに白うさぎを思い出した様だった。そして大学の監督、大学に勤務する白うさぎの妹「おねい」を経由して連絡先を突き止めて電話してくれたのだった。
全く突然の事だったが、うれしかった。
懐かしさとともに、ほろ苦い思い出もフラッシュバックしたのであった。
大学時代はバレーボール部に所属していた白うさぎ。
春と秋には6チームによるリーグ戦(現在は8チーム制)が行われていて、白うさぎの大学は1部リーグに所属していた。(当時は1~5部まであり5部はA~Cブロックに分かれていた。現在は8部まであるらしい)
1部、2部リーグまではそれなりに大会運営もしっかりしていて、1部リーグでは入場料もとっていたし、審判は近畿各県の協会からA級審判員が派遣され(3部以下は学生が審判を務めるので結構アバウト)、競技者以外にも各大学が割り当てされてラインズマンやボール係、得点係、モップ係などをやっていた。
白うさぎはハードなモップ係を同じ学年のチームメイトと行う事が多かった。(一番楽なのは当然得点係だ

コートのモップがけは、コートに落ちた汗を拭きとり、プレーヤーの怪我を防止する為の重要な仕事だ。
モップかけもルール上の定めがあって、白うさぎが入学前は、試合中にタイムをかけ随時モップがけをしていたのが、プレー進行の妨げになるからという理由で、プレーヤー各自がハンドタオルを持って、自ら拭く様に改正となり、モップがけはタイムアウト時やセット間に行われる事になった。(現在は違っているかも…)
「モップ係の戦場」であるバレーボールのタイムアウトは30秒である。
この30秒の間に9メートル×9メートルのコートの全てを拭きとるのは、実際のところ至難の業である。
他大学の学生など片手でモップ持ったりとチンタラやっていて、アタッキングゾーン(ネットから3メートルのゾーン)までしか拭けないのがほとんどであった。(まあ、ジャンプ、着地の動きが多いのはアタッキングゾーン内がほとんどだから、それだけ拭けば十分という考えもあるが…)

バレーボールのコート(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
しかし白うさぎとチームメイトはモップ係の頂点を目指したのだった!(なんのこっちゃ…)
タイムアウト時間内でいかにコート全てを拭き終わるか競争していたのである。
監督が「タイム!」と両手で「T」の字を作ると、副審が「ピピーッ!」とホイッスルを鼓吹しながら「タイムアウト」のサインを出す。
この瞬間に飛び出すのだが、自チームのベンチへ引き揚げてくるプレーヤーとぶつかってはいけない。この間の取り方が実に難しい。
BGMはRosemary Butler 『汚れた英雄』だ。
猛然とダッシュ&ターン
コート全てを拭き終わるのは当たり前、その上でチームメイトより早く拭き上げなければならないのだ。
モップ競争の要はスタートダッシュにあると考えた白うさぎ。
監督が「タイム!」と立ち上がったタイミングを見計らって、スタート姿勢をとればいいのだから、戦況を見つめ「俺だったらこのタイミングでタイムをとるな…」などと考えながらゲームを観る。
バレーボールはリズムのスポーツだから、いかに自チームのリズムを保ち、相手チームのリズムを断ち切るか…ゲームを見る目も大分養われたのは副産物だった。
中にはワンテンポもツーテンポもタイミングが遅い監督がいる。案の定リズムを失ってズルズルいくケースも多い。そこでそのチームの同学年の子に、「お前トコの監督タイム取んの遅くないか?」と聞けば「そやねん!めっちゃ遅いねん!」と返事が返って来た。こんな時には出るタイミングがつかめずに「惨敗」という事もあった。
さて、「あの事件」はリーグ戦最終日の事。
コート上では試合がフルセットにもつれる熱戦が繰り広げられていた。
点数は14-14のジュース、当然一方のベンチが動いた!
読みはバッチリ!抜群のスタートが切れたー!
ところが最初のターンが魔のターンだった!!
猛スピードでターンした瞬間、何と白うさぎ自身が汗に足を取られてしまったのだ!!
バッターン!!
白うさぎの両手はモップを握りしめたまま、哀れガマガエルの様にコートに這いつくばるカタチに…。
瞬間、会場が静まり返った!
(様な気がした…

更に次の瞬間、「ワハハ…」
会場全体が爆笑の渦…(の様に見えた…

恥ずかしくて顔から火が出そうだったが、とにもかくにも自らの転倒した地点の汗をモップで拭きとり引き揚げたのだった

この後みんなには笑われるわ、負けたチームのキャプテンからは「お前な~あんな場面でこけるか~」と言われるし(でも顔は笑っていた

ライバルのチームメイトには後々までネタにされてしまったのであった。
さて
ライバルだったチームメイトは、今や全国屈指のバレーボールの名門校のコーチとして頑張っているw(゜o゜)w
そのチームメイトから何と6~7年ぶりに電話があった。
6~7年前、TVで春高バレーを見ていたらベンチに座っているのが写って、エールの電話をした。この時忙しかったのか、ぶっきら棒に切られた。(元々ぶっきら棒な奴だったが…)
しかし、これが心残りだったらしい…。
今年の秋季国体は新潟県。兵庫選抜チームとして新潟へ行くのに白うさぎを思い出した様だった。そして大学の監督、大学に勤務する白うさぎの妹「おねい」を経由して連絡先を突き止めて電話してくれたのだった。
全く突然の事だったが、うれしかった。
懐かしさとともに、ほろ苦い思い出もフラッシュバックしたのであった。
2008年11月09日
学園祭シーズン
11月といえば学園祭シーズンじゃないか!
白うさぎの通ってた大学の学園祭は、今思い出してもはっきり言って、
しょぼかった!!
ウソかホントか、当時「関西で一番行きたくない学祭・ベスト3」に入ってた…らしい。(一体誰にアンケートとったんだろう
)
先輩は「国士舘と並ぶくらいショボイ…」と言ってたのだが、国士舘大学はそんなにしょぼいのだろうか…。失礼じゃないか…。
人口6万人の、ただでさえ静かな街が、学祭の期間中はもっと静かになったもんだ。
なぜかって…
悪友A「俺、7連休だよ~
」(学祭期間中は講義がない)
白うさぎ「なんや学祭来ーへんのか?」
悪友A「あったり前やないか~!」
悪友B「俺なんか10連休や!」
白うさぎ「おい、講義はどないすんねん!」
悪友B「自主休講や!ノート頼むわ!
」
てな感じ…。学祭期間の休みを利用して旅行へ行く計画を立てとるヤツもおったなぁ…。
確かに白うさぎの大学の学祭はあんまり目玉がなかったから、こらしょうがない…
だってさぁ~各サークルの模擬店が出るのは「前夜祭」のみ、そんでもって平日は大学の校舎内で文化系サークルの展示があるだけで大学構内はガラーン。人が集まるワケがない
「前夜祭」では吉本の若手芸人がやってきて、その司会進行による「ミスター天大」、「ミス天大」コンテストが行われて多少は盛り上がっていたが、地元に住んでる学生しか参加してなかったような気がする。
そういや一回生の時に、同じ学科の同級生が「ミス天大」に選ばれて、翌年「POPEYE」と並ぶ男性情報誌である「Hot-Dog PRESS」に掲載された事があったなぁ~。その娘は確かにカワイかった。
でも「ミスター天大」は柔道部の一回生が選ばれてたんだよね…。もちろんウケ狙い。
母校は別名「語学の天大」と呼ばれ外国語は英米、中国、朝鮮、ロシア、ドイツ、イスパニア(スペイン)、インドネシア、ブラジル(ポルトガル)の各学科があり、それらの学生が行う「外国語劇」も伝統となっていたのだけれども…市民会館で上演されていたが、一体どれほどの人が見に行ったのか…?白うさぎも在学中一回も行かなかった。
各学科による「手作りみこしパレード」は大きな催しの一つだったが、酒に酔った学生が担ぐ神輿なんざ、練り歩いてるんだか、千鳥足なんだか、担いでるんだか、ぶら下がってるんだか分からん代物。
学科会活動への帰属意識の高い一、二回生を中心に市内のメインストリートを練り歩くのだが、酔った学生が暴れて商店街に迷惑をかけたとかで廃止になった。
唯一の楽しみは「学祭ライヴ」である。
白うさぎが入学する前は「翼の折れたエンジェル」のヒットを飛ばした中村あゆみが来たこともあったし、入学する前年は「Hold On Me」が大ヒットした頃の小比類巻かほるが来ていて、割と実力派シンガーを呼ぶ傾向が高いと思っていたから、入学した時にはすごく期待していたのだ。
で、メチャクチャ期待を持たせておいて…一回生の時の学祭で呼ばれたのはなぜか、杉本彩だった…ORZガクッ。
当時の持ち歌は「B&S」
とりあえず言っておきますが、白うさぎは行ってないからね
ホンマですよ
今でこそ「杉本彩姐さん」もある程度の地位を占めているけど、当時はキワモノ的なところがあったから、チケットもほとんど売れず、しまいには半額になっていた
で、先輩が行って来て、「“Schick”のカミソリもらった~よかったよ~」とか言ってたなあ~。野獣の様な体育系学生が多かったとか…。
確か二回生の時が「アン・ルイス」、三回生の時が「BEGIN 」だったような記憶が…。行かなかったから記憶が曖昧だす…
とにかく「明るいキャンパス・ライフ」を夢見ていた一回生の時の落胆が大きくて、大学祭にはあまりいい思い出がない。
その後も「大画面TVで行うファミスタ大会!」とか、企画がまさに「貧すれば鈍す」状態
ライヴに呼ぶアーティストも予算の都合とかで、一番安価で済む吉本芸人に落ち着いて現在に至っている模様。
大学に勤める「おねい」に聞いてみたら、今年は「エド・はるみ」だったそうな。学生よりも市民の方が楽しみにしているみたい。
こりゃ、柔道の日本代表の監督に就任したばかりの篠原柔道部監督と石井慧の「怨恨エキシビジョン・マッチ」なんかやったら集まるやろうな~なんて夢想してみた次第。 続きを読む
白うさぎの通ってた大学の学園祭は、今思い出してもはっきり言って、
しょぼかった!!
ウソかホントか、当時「関西で一番行きたくない学祭・ベスト3」に入ってた…らしい。(一体誰にアンケートとったんだろう

先輩は「国士舘と並ぶくらいショボイ…」と言ってたのだが、国士舘大学はそんなにしょぼいのだろうか…。失礼じゃないか…。
人口6万人の、ただでさえ静かな街が、学祭の期間中はもっと静かになったもんだ。
なぜかって…
悪友A「俺、7連休だよ~

白うさぎ「なんや学祭来ーへんのか?」
悪友A「あったり前やないか~!」
悪友B「俺なんか10連休や!」
白うさぎ「おい、講義はどないすんねん!」
悪友B「自主休講や!ノート頼むわ!

てな感じ…。学祭期間の休みを利用して旅行へ行く計画を立てとるヤツもおったなぁ…。
確かに白うさぎの大学の学祭はあんまり目玉がなかったから、こらしょうがない…

だってさぁ~各サークルの模擬店が出るのは「前夜祭」のみ、そんでもって平日は大学の校舎内で文化系サークルの展示があるだけで大学構内はガラーン。人が集まるワケがない

「前夜祭」では吉本の若手芸人がやってきて、その司会進行による「ミスター天大」、「ミス天大」コンテストが行われて多少は盛り上がっていたが、地元に住んでる学生しか参加してなかったような気がする。
そういや一回生の時に、同じ学科の同級生が「ミス天大」に選ばれて、翌年「POPEYE」と並ぶ男性情報誌である「Hot-Dog PRESS」に掲載された事があったなぁ~。その娘は確かにカワイかった。
でも「ミスター天大」は柔道部の一回生が選ばれてたんだよね…。もちろんウケ狙い。
母校は別名「語学の天大」と呼ばれ外国語は英米、中国、朝鮮、ロシア、ドイツ、イスパニア(スペイン)、インドネシア、ブラジル(ポルトガル)の各学科があり、それらの学生が行う「外国語劇」も伝統となっていたのだけれども…市民会館で上演されていたが、一体どれほどの人が見に行ったのか…?白うさぎも在学中一回も行かなかった。
各学科による「手作りみこしパレード」は大きな催しの一つだったが、酒に酔った学生が担ぐ神輿なんざ、練り歩いてるんだか、千鳥足なんだか、担いでるんだか、ぶら下がってるんだか分からん代物。
学科会活動への帰属意識の高い一、二回生を中心に市内のメインストリートを練り歩くのだが、酔った学生が暴れて商店街に迷惑をかけたとかで廃止になった。
唯一の楽しみは「学祭ライヴ」である。
白うさぎが入学する前は「翼の折れたエンジェル」のヒットを飛ばした中村あゆみが来たこともあったし、入学する前年は「Hold On Me」が大ヒットした頃の小比類巻かほるが来ていて、割と実力派シンガーを呼ぶ傾向が高いと思っていたから、入学した時にはすごく期待していたのだ。
で、メチャクチャ期待を持たせておいて…一回生の時の学祭で呼ばれたのはなぜか、杉本彩だった…ORZガクッ。
当時の持ち歌は「B&S」
とりあえず言っておきますが、白うさぎは行ってないからね


今でこそ「杉本彩姐さん」もある程度の地位を占めているけど、当時はキワモノ的なところがあったから、チケットもほとんど売れず、しまいには半額になっていた

で、先輩が行って来て、「“Schick”のカミソリもらった~よかったよ~」とか言ってたなあ~。野獣の様な体育系学生が多かったとか…。
確か二回生の時が「アン・ルイス」、三回生の時が「BEGIN 」だったような記憶が…。行かなかったから記憶が曖昧だす…

とにかく「明るいキャンパス・ライフ」を夢見ていた一回生の時の落胆が大きくて、大学祭にはあまりいい思い出がない。
その後も「大画面TVで行うファミスタ大会!」とか、企画がまさに「貧すれば鈍す」状態

ライヴに呼ぶアーティストも予算の都合とかで、一番安価で済む吉本芸人に落ち着いて現在に至っている模様。
大学に勤める「おねい」に聞いてみたら、今年は「エド・はるみ」だったそうな。学生よりも市民の方が楽しみにしているみたい。
こりゃ、柔道の日本代表の監督に就任したばかりの篠原柔道部監督と石井慧の「怨恨エキシビジョン・マッチ」なんかやったら集まるやろうな~なんて夢想してみた次第。 続きを読む
タグ :学園祭
2007年08月03日
たぬきのお金
体育会というのは独特の雰囲気があるもので…
どうして生まれたのが早いか遅いかでこんなに差が出るの?と思うくらい先輩と後輩の間にあるギャップは大きい。
白うさぎが高校時代もひどかった…3年生は天皇(王様或いは神様)、2年生は人間、1年生は奴隷というくらい差があった。
入学して2年生から「1年生の心得」を指導されノートに書き取った。
「挨拶はデカイ声で、体を90度に曲げて行う」、「1日3回以上“コーヒーいかがですか?”と聞く」、「先輩の前では“足を崩していいぞ”と言われるまでは基本的に正座」、「食事は先輩より早く食べること(ただし、先輩がお代わりする時には、すぐ行くこと)」等などたくさんの項目があって、守らないヤツがいたりすると、1年生は全員呼び出し、電気を暗くした部屋にみんな集められて、正座、黙想の上一時間くらい説教された。
2年になってそれから開放されると思ってたら、「1年生の指導がなってない」とまたもや呼び出され説教…。世の中理不尽なことも数多いが、こういう経験をつんだおかげ(?)で大概のことは我慢できるようになった。
大学時代はこれに比べると平和だった。
後輩に「オイ!お前達は幸せやぞ!N体育大学なんかは、10円持たされて先輩達の弁当買いに行かされるらしいぞ!しかも(足りない分自腹切って)買って帰って来たら、“おつりは!”と言われるらしいで。」と言った。すると一人の後輩が、「先輩、甘い甘い。ウチの高校、葉っぱ持たされて買いに行かされましたよ。」だと。
「はぁ~それ、たぬきのお金やん!!」
上には上があるものである。当事者は大変だったろうが、あの時はつい笑ってしまった。今はこんなことあったら大変だが、みんなこうやって大人になったのだ。