
2008年03月02日
それでもボクはやってない
先日MOMO-TAROさんのブログにこのような話題が取り上げられていた。
⇒「痴漢の冤罪は救えるか?」(お祭り人 MOMO-TAROの滋賀咲くBLOG)
多分このニュースの件↓
「JR車掌を痴漢で逮捕」(BBCびわ湖放送)
県警は17日、JR西日本の職員で彦根市芹橋2丁目に住むA容疑者(20)を滋賀県迷惑行為等防止条例違反の疑いで逮捕しました。調べによりますと、A容疑者は、17日午前8時半頃、JR大津駅から山科駅に向かっていた新快速電車の車内で、乗客だった20歳の女性の胸を触るなどの痴漢行為をした疑いがもたれています。車内を巡回していた警察官が、何度か駅で降りたり、乗ったりなどしていたA容疑者を不審に思い、警戒していたところ、犯行に及んだということです。警察の調べに対し、A容疑者は、「ひじがあたったのは認めるが、納得できない」と容疑を否認しているということです。A容疑者は、JR西日本京都車掌区の車掌で、出勤途中だったということです。職員の逮捕を受け、JR西日本京都支社の今井敏之次長は、「事実であるとすれば大変残念であり、申し訳なく思っています。事実を確認し、厳正に対処します」とコメントしています。
※注) 記事のリンク先には被疑者の個人名が掲載されていますが、MOMO-TAROさんのブログにあるように、もしも痴漢容疑が無実だとすると、被疑者であるA氏の人権を著しく傷つけてしまうことになりかねず、あえてネット上のニュース原稿を改変の上、本名を伏せさせていただきましたことをお断りいたします。
実際、白うさぎも最近電車に乗る機会が非常に増えてきており、全く他人事じゃないと感じている。
自分自身は痴漢なんて憎むべき卑劣な犯罪だと思っているし、いくら目の前に露出度満点のナイスバディのおねーちゃんが立っていて、満員で実際に誰がやってるか分からない状況であろうとも、決して手を出したりしない!そういう理性は持ち合わせているつもりだ。(これが大多数の市民の方々でしょう。)
ところが、自分自身が気をつけていても、いきなり腕をつかまれて、「この人痴漢です
」なんて言われたらどうなるのか
はっきり言って頭ん中真っ白になっちゃうよ
フツーの日常生活が、「この人痴漢です」のたった一言で一変してしまうという、おそろしい現実を描いた映画が
周防正行監督11年ぶりの監督作品『それでもボクはやってない』だ。
白うさぎも仕事が忙しいのと、子育てに追われてなかなか映画館でゆっくり映画鑑賞とかできないのだが、『Shall We ダンス?』を観て周防監督のファンになり、久々の周防作品ということで、注目はしていた。
ハリウッドでリメイクもされた『Shall We ダンス?』は、笑いあり、涙ありのエンターテイメント作品だったが、こちらは打って変わってシリアスな社会派ドラマだ。
周防監督には『シコふんじゃった。』のイメージもあるだけにちょっと意外な気もしたが、観たいみたいと思ってたものの、機会を逸していた。それが昨日TVで放送されるとあって、チビうさ達を早く寝かせてのTV鑑賞であった。
主演の加瀬亮演じるフリーターの青年は、面接に行こうとしていたが、途中駅で履歴書を忘れたことに気付き、確認の為一時下車し、それからまたあわてて乗車した。
乗車率250%の満員電車に前から乗り込んだところを駅員に後ろから押されて何とか乗車。ところが、スーツの裾がドアに挟まってしまったことが、彼の悲劇の始まりとなった。
目的駅で降車したところ、痴漢の被害者である女子中学生に現行犯逮捕されてしまう。
彼は何のことかさっぱり分からないが、スーツの裾を引っ張る動作が誤解を与えたのかも知れないと弁解するものの、はじめから「痴漢」と決め付けたような取調べの末、起訴されてしまい、彼は無実を主張する為に裁判で争うことになった…というストーリーだ。
裁判員制度もいよいよ始まろうかというご時世に、女性にとっては卑劣な許されざる犯罪であり、男性にとっては、全くの濡れ衣で訴えられてしまうことも少なからずある「痴漢」を題材に取り上げ、同時に一般市民に馴染みの薄い裁判の様子や、裁判官自身によって全く裁判の方向性自体変わってしまうこと、裁判は必ずしも正義を実現する場ではないことなどがあぶりだされて行く。
「パンツの上」から触ったら「迷惑防止条例違反」で「パンツの中へ」手を入れて触ったら「強制わいせつ」なんだと。へえー、初めて知ったな。(だからといって、中に入れなければいいというモノではない。念の為。)
満員電車で女性に向かって「前向き」に乗車すること自体、疑われる一歩だなんてはじめて知ったし、いい勉強になった。
いくら「李下に冠を正さず」といっても、どこまで気をつければいいのか?両手をバンザイしといたって、「股間が当たった」と言われればお終いだし、本当嫌な時代になったものだ。
ネタバレになるので、結末にはふれないが、「裁判」という上でも本当に考えさせられるテーマだった。
有罪かどうかの立証が、被害者である女性の訴えに全面的に依拠している以上、もし濡れ衣でも痴漢と疑われてしまったら、ほぼ99.9%有罪になってしまうのだ。
普通刑事裁判といえば、「推定無罪」から出発し、「疑わしきは被告人の利益に」という様に、進行していくはずである。だから検察側は、「やったという証拠」を一つ一つ積み上げて有罪を立証するのである。本人がいくら無罪を叫んだとて、合理的に立証されてしまえば、覆すのは難しい。しかし、逆に立証が困難となれば、無罪(無実とは違う)となる可能性もある。
なのに、痴漢の無罪を主張する為には、なぜか「推定有罪」の地点からスタートし、「被告側」が無罪であることを立証しなければならない。(実際はそうでないのかもしれないが、そのようになっているようにしか見えない。)無罪を立証する為には、痴漢を訴えた側が虚偽の申告をしているとか、真犯人を見つけるとか、とにかく自身が「行い得なかった」ことを立証する必要がある。だがこれは実際には大変困難なことである。
映画の中では、主人公が支援者らと再現VTRを撮影して、検証ビデオを裁判所へ提出したりと涙ぐましい努力をする様子が描かれている。
残念ながらこのポスターのように物事は単純ではないようだ。

最後に一言
『チカン冤罪もアカン』
⇒「痴漢の冤罪は救えるか?」(お祭り人 MOMO-TAROの滋賀咲くBLOG)
多分このニュースの件↓
「JR車掌を痴漢で逮捕」(BBCびわ湖放送)
県警は17日、JR西日本の職員で彦根市芹橋2丁目に住むA容疑者(20)を滋賀県迷惑行為等防止条例違反の疑いで逮捕しました。調べによりますと、A容疑者は、17日午前8時半頃、JR大津駅から山科駅に向かっていた新快速電車の車内で、乗客だった20歳の女性の胸を触るなどの痴漢行為をした疑いがもたれています。車内を巡回していた警察官が、何度か駅で降りたり、乗ったりなどしていたA容疑者を不審に思い、警戒していたところ、犯行に及んだということです。警察の調べに対し、A容疑者は、「ひじがあたったのは認めるが、納得できない」と容疑を否認しているということです。A容疑者は、JR西日本京都車掌区の車掌で、出勤途中だったということです。職員の逮捕を受け、JR西日本京都支社の今井敏之次長は、「事実であるとすれば大変残念であり、申し訳なく思っています。事実を確認し、厳正に対処します」とコメントしています。
※注) 記事のリンク先には被疑者の個人名が掲載されていますが、MOMO-TAROさんのブログにあるように、もしも痴漢容疑が無実だとすると、被疑者であるA氏の人権を著しく傷つけてしまうことになりかねず、あえてネット上のニュース原稿を改変の上、本名を伏せさせていただきましたことをお断りいたします。
実際、白うさぎも最近電車に乗る機会が非常に増えてきており、全く他人事じゃないと感じている。
自分自身は痴漢なんて憎むべき卑劣な犯罪だと思っているし、いくら目の前に露出度満点のナイスバディのおねーちゃんが立っていて、満員で実際に誰がやってるか分からない状況であろうとも、決して手を出したりしない!そういう理性は持ち合わせているつもりだ。(これが大多数の市民の方々でしょう。)
ところが、自分自身が気をつけていても、いきなり腕をつかまれて、「この人痴漢です



フツーの日常生活が、「この人痴漢です」のたった一言で一変してしまうという、おそろしい現実を描いた映画が
周防正行監督11年ぶりの監督作品『それでもボクはやってない』だ。
白うさぎも仕事が忙しいのと、子育てに追われてなかなか映画館でゆっくり映画鑑賞とかできないのだが、『Shall We ダンス?』を観て周防監督のファンになり、久々の周防作品ということで、注目はしていた。
ハリウッドでリメイクもされた『Shall We ダンス?』は、笑いあり、涙ありのエンターテイメント作品だったが、こちらは打って変わってシリアスな社会派ドラマだ。
周防監督には『シコふんじゃった。』のイメージもあるだけにちょっと意外な気もしたが、観たいみたいと思ってたものの、機会を逸していた。それが昨日TVで放送されるとあって、チビうさ達を早く寝かせてのTV鑑賞であった。
主演の加瀬亮演じるフリーターの青年は、面接に行こうとしていたが、途中駅で履歴書を忘れたことに気付き、確認の為一時下車し、それからまたあわてて乗車した。
乗車率250%の満員電車に前から乗り込んだところを駅員に後ろから押されて何とか乗車。ところが、スーツの裾がドアに挟まってしまったことが、彼の悲劇の始まりとなった。
目的駅で降車したところ、痴漢の被害者である女子中学生に現行犯逮捕されてしまう。
彼は何のことかさっぱり分からないが、スーツの裾を引っ張る動作が誤解を与えたのかも知れないと弁解するものの、はじめから「痴漢」と決め付けたような取調べの末、起訴されてしまい、彼は無実を主張する為に裁判で争うことになった…というストーリーだ。
裁判員制度もいよいよ始まろうかというご時世に、女性にとっては卑劣な許されざる犯罪であり、男性にとっては、全くの濡れ衣で訴えられてしまうことも少なからずある「痴漢」を題材に取り上げ、同時に一般市民に馴染みの薄い裁判の様子や、裁判官自身によって全く裁判の方向性自体変わってしまうこと、裁判は必ずしも正義を実現する場ではないことなどがあぶりだされて行く。
「パンツの上」から触ったら「迷惑防止条例違反」で「パンツの中へ」手を入れて触ったら「強制わいせつ」なんだと。へえー、初めて知ったな。(だからといって、中に入れなければいいというモノではない。念の為。)
満員電車で女性に向かって「前向き」に乗車すること自体、疑われる一歩だなんてはじめて知ったし、いい勉強になった。
いくら「李下に冠を正さず」といっても、どこまで気をつければいいのか?両手をバンザイしといたって、「股間が当たった」と言われればお終いだし、本当嫌な時代になったものだ。
ネタバレになるので、結末にはふれないが、「裁判」という上でも本当に考えさせられるテーマだった。
有罪かどうかの立証が、被害者である女性の訴えに全面的に依拠している以上、もし濡れ衣でも痴漢と疑われてしまったら、ほぼ99.9%有罪になってしまうのだ。
普通刑事裁判といえば、「推定無罪」から出発し、「疑わしきは被告人の利益に」という様に、進行していくはずである。だから検察側は、「やったという証拠」を一つ一つ積み上げて有罪を立証するのである。本人がいくら無罪を叫んだとて、合理的に立証されてしまえば、覆すのは難しい。しかし、逆に立証が困難となれば、無罪(無実とは違う)となる可能性もある。
なのに、痴漢の無罪を主張する為には、なぜか「推定有罪」の地点からスタートし、「被告側」が無罪であることを立証しなければならない。(実際はそうでないのかもしれないが、そのようになっているようにしか見えない。)無罪を立証する為には、痴漢を訴えた側が虚偽の申告をしているとか、真犯人を見つけるとか、とにかく自身が「行い得なかった」ことを立証する必要がある。だがこれは実際には大変困難なことである。
映画の中では、主人公が支援者らと再現VTRを撮影して、検証ビデオを裁判所へ提出したりと涙ぐましい努力をする様子が描かれている。
残念ながらこのポスターのように物事は単純ではないようだ。

最後に一言
『チカン冤罪もアカン』