2008年03月15日
介護のプロってナンだ?
ある日、看護師の姐さんがえらくご立腹だった(--〆)
ある介護スタッフが
「ワーカー(介護職)もできる看護師さんが欲しい」
と言っていたのだそうだ。
このスタッフも、よっぽど仕事がしんどいのか、ついもらしてしまった様だが、姐さんはいたく傷ついたらしい
姐さんにしてみれば、
看護師でありながら十分過ぎるほど介護の仕事もしているのに、これ以上何を望むの?
介護業務にどっぷり入り込んでしまい、もし「何か」が起こった時に対応できなかったらどうするの?
そもそも看護師に何を求めているの?
と思うわな~。姐さんが怒るのもよくわかる。
白うさぎとて介護業界に10年以上もいるベテランだ。
様々な施設で修羅場もくぐり抜けてきたし、現場の仕事がどんなに大変かはよくわかってる。
だから経験の若い介護スタッフの気持ちも理解できなくもない。

~かつて「入浴」「食事」「排泄」は、この業界で俗に「三大介護」と呼ばれ、介護研究発表会などでは、これらをいかに「効率よく提供するか」に主眼が置かれた発表がなされていたほど重大関心事であった。~
でもちょっと待てよ!それでいいのかい?
以前にも、ある介護スタッフから
「姐さんには入浴介護に入ってもらえないんですかね?」
と言われて、
「介護職員が何人も急に休んだとかさ~緊急事態でも起こらない限り、姐さんは基本的に介護業務には入らないよ。姐さんには看護師としての役割があって、介護業務もするかもしれないけど、それは“看護師”としての目線で介護を行うのであって、一介護職員として行うのではないからね。もしも介護業務にどっぷり入り込んでしまって、利用者に急変とか起こった時にさ、対応できないと困るし。介護スタッフの一員に数えられたら彼女、身動きとれなくなっちゃうよ。それに姐さんのプライドも考えてやりなよ。」
などと話した事がある。
何も白うさぎは、姐さんを特別扱いするつもりは毛頭ない。
姐さんは看護職員として、介護スタッフは介護職員として、それぞれの専門職として期待する役割が違うという事を理解して欲しいだけなのだ。介護スタッフに「看護業務を行え」と言わないのと同様、それぞれの専門性が違うのだから、役割は違って当たり前だ。
ところがこの業界、この「常識」が意外に理解されない事が多い。前述の様な発言を聞いた経験は一度や二度ではない。
この様な発言が出てくる背景を考察すると、「介護業界における介護職の地位がなぜ低いのか?」という問題が透けて見えてくる。
そもそも介護の仕事というものは、本来は介護技術、人権意識、創造性、スケジュール管理等々、高い専門性を要求される職業であるハズなのに、巷間言われるような「3K労働」の代名詞で、おまけに給料も安いときちゃ、社会に必要な仕事なのに見向きされない。さらに人手不足だからと言って外国人労働者の力も借りようという。
なぜ、こんなに介護職の地位は低いのか?
白うさぎも「介護福祉士」という国家資格を取得しているが、「介護のプロ」たる称号が「介護福祉士」であるハズである。
ところが、「介護福祉士」は「名称独占」ではあっても「業務独占」にはなっていない。
居宅におけるホームヘルプサービスを提供するには、「介護福祉士」か「訪問介護員養成課程」(俗にヘルパー1級とか2級とか呼ばれる資格)のライセンスを持っていなければならないが、施設における介護業務に就くのには無資格でも「オッケー牧場」なのだ。(実際に白うさぎも無資格でこの業界に飛び込んだ!)
「介護福祉士」になるには、大別すると介護の実務経験を3年以上積んでから国家試験を受けるコースと、専門学校等の養成施設を卒業して取得するコースとに分けられるのだが、(※長浜高校の福祉科は国家試験の受験資格が与えられるコース)現場の厳しい環境でもまれてきたグループに比べると、専門学校卒の中には、「でも・しか」学生も相当数含まれ、現場で全く使いものにならない者も数多い。白うさぎが以前勤めた施設でも、新卒職員が「全員ハズレ」という悲惨な経験もした。「介護福祉士」の中には、到底「プロ」と言えない職員が、相当数含まれるのも実情なのだ。
看護師の様に、専門教育を受けてなお国家試験というハードルが課せられている訳でなし、卒業と同時に自動的に資格がもらえるというのには従来から批判も多かった。(今後「介護福祉士」は国家試験をクリアした者にしか与えられない事になった。既に法案は国会を通過している。)
結局のところ、世間的には専門の資格を持っていようが、いようまいが、専門職としての「技能」より「人柄」とかが重視される職種が「介護職」であると言える。
そして、内部的には「徒弟制度」の様に先輩職員に指導され、いかに「効率よく」介護業務をこなせる「業務マシン」に徹することができるかが重視される。
こんなの「専門職」じゃねえよっ!!
さらに考えるに、「介護」というものが、「家庭で」「誰でも」行っている「家庭介護」と同様に見られているのではないか?
誰でも、例えば自分の両親が、「介護」が必要な状況になったとしたら、嫌でも「介護」しなきゃならないだろう。つまり、誰でもその気になったらできることなのだ。コツさえつかめば、誰でも「介護」という「行為」はできる。
「誰でもできる事」が為に「専門性」を見出す事の阻害要因になってやしないか?
素人から「介護のプロ」とみなされるには、素人衆を納得させるだけの「モノ」をもっていなければ、到底「プロ」とは呼ばれないだろう。
だから白うさぎは、「知識を身に着けて、自分達のしている事を、きちんと“自分の言葉”で相手に伝えられるようにならないといけないよ。」とスタッフに言い続けているのだ。
「誰でもしていること」なのに「何かが違う」、「素人では見過ごしてしまうような事を指摘できる」、「正しい介助の方法を伝授できる」等々、自分の持てる専門性を発揮して、利用者さんや家族さんから「あ~、やっぱり専門家は違うな!」と唸らせるのが、正真正銘の「プロ」だ。
介護職自身が自らの専門性に気付けないから、「専門性の違いによる役割分担」という意識が全然持てない。
厳しいかもしれないけど、いくらしんどいからといって、自分のすべき仕事を「他職種まで巻き込んでなんとかこなす仕事」にして欲しくない。そこに「“専門家のプライド”はあるのかい?」と言いたい。
自分達が自分達の仕事の専門性に誇りを持って働き、世間からも認知されて初めて、介護職の地位も上がろうというものだ。
以前こんな事があった。
その時も人手が足らずに、管理職である白うさぎが「俺が入浴介護に入ろうか?」と言った時に、「いや、いいです。白うさぎさんには、全体を見渡して欲しいから。入浴介護に入ってしまうと全体を見れなくなるから。」と言ったスタッフがいた。「自分達の仕事だから自分達で何とかする」という気概を見せてくれた。
白うさぎは「自分達のしている仕事」に、自信と誇りを持って欲しいと切に願うばかりだ。

前列に並ぶ女の子達が介護スタッフ
みんな「正真正銘の介護のプロ」目指してガンバレ
ある介護スタッフが
「ワーカー(介護職)もできる看護師さんが欲しい」
と言っていたのだそうだ。
このスタッフも、よっぽど仕事がしんどいのか、ついもらしてしまった様だが、姐さんはいたく傷ついたらしい

姐さんにしてみれば、
看護師でありながら十分過ぎるほど介護の仕事もしているのに、これ以上何を望むの?
介護業務にどっぷり入り込んでしまい、もし「何か」が起こった時に対応できなかったらどうするの?
そもそも看護師に何を求めているの?
と思うわな~。姐さんが怒るのもよくわかる。
白うさぎとて介護業界に10年以上もいるベテランだ。
様々な施設で修羅場もくぐり抜けてきたし、現場の仕事がどんなに大変かはよくわかってる。
だから経験の若い介護スタッフの気持ちも理解できなくもない。

~かつて「入浴」「食事」「排泄」は、この業界で俗に「三大介護」と呼ばれ、介護研究発表会などでは、これらをいかに「効率よく提供するか」に主眼が置かれた発表がなされていたほど重大関心事であった。~
でもちょっと待てよ!それでいいのかい?
以前にも、ある介護スタッフから
「姐さんには入浴介護に入ってもらえないんですかね?」
と言われて、
「介護職員が何人も急に休んだとかさ~緊急事態でも起こらない限り、姐さんは基本的に介護業務には入らないよ。姐さんには看護師としての役割があって、介護業務もするかもしれないけど、それは“看護師”としての目線で介護を行うのであって、一介護職員として行うのではないからね。もしも介護業務にどっぷり入り込んでしまって、利用者に急変とか起こった時にさ、対応できないと困るし。介護スタッフの一員に数えられたら彼女、身動きとれなくなっちゃうよ。それに姐さんのプライドも考えてやりなよ。」
などと話した事がある。
何も白うさぎは、姐さんを特別扱いするつもりは毛頭ない。
姐さんは看護職員として、介護スタッフは介護職員として、それぞれの専門職として期待する役割が違うという事を理解して欲しいだけなのだ。介護スタッフに「看護業務を行え」と言わないのと同様、それぞれの専門性が違うのだから、役割は違って当たり前だ。
ところがこの業界、この「常識」が意外に理解されない事が多い。前述の様な発言を聞いた経験は一度や二度ではない。
この様な発言が出てくる背景を考察すると、「介護業界における介護職の地位がなぜ低いのか?」という問題が透けて見えてくる。
そもそも介護の仕事というものは、本来は介護技術、人権意識、創造性、スケジュール管理等々、高い専門性を要求される職業であるハズなのに、巷間言われるような「3K労働」の代名詞で、おまけに給料も安いときちゃ、社会に必要な仕事なのに見向きされない。さらに人手不足だからと言って外国人労働者の力も借りようという。
なぜ、こんなに介護職の地位は低いのか?
白うさぎも「介護福祉士」という国家資格を取得しているが、「介護のプロ」たる称号が「介護福祉士」であるハズである。
ところが、「介護福祉士」は「名称独占」ではあっても「業務独占」にはなっていない。
居宅におけるホームヘルプサービスを提供するには、「介護福祉士」か「訪問介護員養成課程」(俗にヘルパー1級とか2級とか呼ばれる資格)のライセンスを持っていなければならないが、施設における介護業務に就くのには無資格でも「オッケー牧場」なのだ。(実際に白うさぎも無資格でこの業界に飛び込んだ!)
「介護福祉士」になるには、大別すると介護の実務経験を3年以上積んでから国家試験を受けるコースと、専門学校等の養成施設を卒業して取得するコースとに分けられるのだが、(※長浜高校の福祉科は国家試験の受験資格が与えられるコース)現場の厳しい環境でもまれてきたグループに比べると、専門学校卒の中には、「でも・しか」学生も相当数含まれ、現場で全く使いものにならない者も数多い。白うさぎが以前勤めた施設でも、新卒職員が「全員ハズレ」という悲惨な経験もした。「介護福祉士」の中には、到底「プロ」と言えない職員が、相当数含まれるのも実情なのだ。
看護師の様に、専門教育を受けてなお国家試験というハードルが課せられている訳でなし、卒業と同時に自動的に資格がもらえるというのには従来から批判も多かった。(今後「介護福祉士」は国家試験をクリアした者にしか与えられない事になった。既に法案は国会を通過している。)
結局のところ、世間的には専門の資格を持っていようが、いようまいが、専門職としての「技能」より「人柄」とかが重視される職種が「介護職」であると言える。
そして、内部的には「徒弟制度」の様に先輩職員に指導され、いかに「効率よく」介護業務をこなせる「業務マシン」に徹することができるかが重視される。
こんなの「専門職」じゃねえよっ!!
さらに考えるに、「介護」というものが、「家庭で」「誰でも」行っている「家庭介護」と同様に見られているのではないか?
誰でも、例えば自分の両親が、「介護」が必要な状況になったとしたら、嫌でも「介護」しなきゃならないだろう。つまり、誰でもその気になったらできることなのだ。コツさえつかめば、誰でも「介護」という「行為」はできる。
「誰でもできる事」が為に「専門性」を見出す事の阻害要因になってやしないか?
素人から「介護のプロ」とみなされるには、素人衆を納得させるだけの「モノ」をもっていなければ、到底「プロ」とは呼ばれないだろう。
だから白うさぎは、「知識を身に着けて、自分達のしている事を、きちんと“自分の言葉”で相手に伝えられるようにならないといけないよ。」とスタッフに言い続けているのだ。
「誰でもしていること」なのに「何かが違う」、「素人では見過ごしてしまうような事を指摘できる」、「正しい介助の方法を伝授できる」等々、自分の持てる専門性を発揮して、利用者さんや家族さんから「あ~、やっぱり専門家は違うな!」と唸らせるのが、正真正銘の「プロ」だ。
介護職自身が自らの専門性に気付けないから、「専門性の違いによる役割分担」という意識が全然持てない。
厳しいかもしれないけど、いくらしんどいからといって、自分のすべき仕事を「他職種まで巻き込んでなんとかこなす仕事」にして欲しくない。そこに「“専門家のプライド”はあるのかい?」と言いたい。
自分達が自分達の仕事の専門性に誇りを持って働き、世間からも認知されて初めて、介護職の地位も上がろうというものだ。
以前こんな事があった。
その時も人手が足らずに、管理職である白うさぎが「俺が入浴介護に入ろうか?」と言った時に、「いや、いいです。白うさぎさんには、全体を見渡して欲しいから。入浴介護に入ってしまうと全体を見れなくなるから。」と言ったスタッフがいた。「自分達の仕事だから自分達で何とかする」という気概を見せてくれた。
白うさぎは「自分達のしている仕事」に、自信と誇りを持って欲しいと切に願うばかりだ。

前列に並ぶ女の子達が介護スタッフ
みんな「正真正銘の介護のプロ」目指してガンバレ

Posted by 白うさぎ at 22:30│Comments(0)
│『おたっしゃ倶楽部』日誌
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。