2008年02月26日
長濱は今日も雪だった…
ベタな前ふりで申し訳ないーーーっ
田舎暮らしにゃ、車は欠かせぬアイテムだ。
軽トラの所有率の高いこと高いこと。
公共交通機関が発達していないから車社会になったのか、車社会だから公共交通機関が廃れたのか、もうどっちだっていいが、とにかく車なしじゃ生活できんワケ。
一般に田舎暮らしの人の方が健康に見えそうだが、実際には近場でもすぐに車に乗って出かける田舎人の方が、都会人より生活習慣病のリスクが高いそうだ。
そんな田舎暮らしの白うさぎだが、たまにゃあ歩いてみるのもいいもんだ。
歩いてみる風景は、
に乗って眺める風景とはどこか違って見えてとても新鮮な発見に満ち溢れていた。
そこで白うさぎ的視点でとらえた街の風景を激写
してみたのでごらんあれ!
長浜駅前と言ったらまずこれ!

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と石田佐吉(後の石田三成)の出会いの像(『三献茶』のエピソードシーンだ)
石田三成は、近江國坂田郡石田村(現:滋賀県長浜市石田村)の土豪・石田氏の出である。
ある寺院の寺小姓として仕えていた頃、たまたま鷹狩りの帰りに立ち寄った秀吉が茶を所望したところ、まずはじめは大振りの茶碗にぬるめのお茶、続いてはその茶碗に半分ぐらいで差し出し、最後は小さい茶碗に熱めの茶を出したという。この才気に感じ入った秀吉が近習に召し抱えたという逸話である。
この時の寺院というのが、石田村の近郷である大原荘の観音寺(現:滋賀県米原市朝日・伊富貴山観音護国寺)であるという。しかしこれには異説があり、伊香郡古橋村の法華寺(現:滋賀県伊香郡木之本町古橋・法華寺は既に廃寺)であるという説もある。
歴史学者の小和田哲男氏は「大原・観音寺説」が有力であるとしているが、「古橋・法華寺説」も当所が石田三成の生母の菩提寺であるということから有力とされている。それに因んでか、地元木之本町では『のんでみやんせ 三献の茶』というお茶を販売している。
まあ、この逸話は江戸時代の創作であるという説もあるので、真偽のほどは…だが、少なくとも石田三成が幼少の頃より才気あふれる人物だったということは疑いようのない事実だったのではあるまいか?
白うさぎも石田三成は大好きだ!だから『しまさこにゃん』が好きなのだ。

長浜駅前にある隠れた名店『とらや食堂』
白うさぎの妹の「おねい」が歓喜の涙にむせびそうなシブ過ぎる外観と、ひときわ目立つ「小さな食堂・大きく感謝」の文字

『開知学校』

明治4年、滋賀県初の小学校として創設された「滋賀県第一小学校」が前身で、その後明治7年に市民の寄付で建築されたのがこの「開知学校」である。
洋風4階建てのモダンな校舎がひときわ目を引く。
たった数年前まではちょんまげで歩いていた人達が、わずか数年後には、政治システムを改革し、鉄道を引き、モダンな建築物を次々に建てていった。この幕末・明治人のエネルギッシュでバイタリティーあふれる行動に、日本人としてただただ頭が下がる思いだ。本当にご先祖様達はスゴかったんだ
その開知学校から少し離れた所に、
ムムム…なにやら奇妙な建物が…
田舎暮らしにゃ、車は欠かせぬアイテムだ。
軽トラの所有率の高いこと高いこと。
公共交通機関が発達していないから車社会になったのか、車社会だから公共交通機関が廃れたのか、もうどっちだっていいが、とにかく車なしじゃ生活できんワケ。
一般に田舎暮らしの人の方が健康に見えそうだが、実際には近場でもすぐに車に乗って出かける田舎人の方が、都会人より生活習慣病のリスクが高いそうだ。
そんな田舎暮らしの白うさぎだが、たまにゃあ歩いてみるのもいいもんだ。
歩いてみる風景は、

そこで白うさぎ的視点でとらえた街の風景を激写

長浜駅前と言ったらまずこれ!
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と石田佐吉(後の石田三成)の出会いの像(『三献茶』のエピソードシーンだ)
石田三成は、近江國坂田郡石田村(現:滋賀県長浜市石田村)の土豪・石田氏の出である。
ある寺院の寺小姓として仕えていた頃、たまたま鷹狩りの帰りに立ち寄った秀吉が茶を所望したところ、まずはじめは大振りの茶碗にぬるめのお茶、続いてはその茶碗に半分ぐらいで差し出し、最後は小さい茶碗に熱めの茶を出したという。この才気に感じ入った秀吉が近習に召し抱えたという逸話である。
この時の寺院というのが、石田村の近郷である大原荘の観音寺(現:滋賀県米原市朝日・伊富貴山観音護国寺)であるという。しかしこれには異説があり、伊香郡古橋村の法華寺(現:滋賀県伊香郡木之本町古橋・法華寺は既に廃寺)であるという説もある。
歴史学者の小和田哲男氏は「大原・観音寺説」が有力であるとしているが、「古橋・法華寺説」も当所が石田三成の生母の菩提寺であるということから有力とされている。それに因んでか、地元木之本町では『のんでみやんせ 三献の茶』というお茶を販売している。
まあ、この逸話は江戸時代の創作であるという説もあるので、真偽のほどは…だが、少なくとも石田三成が幼少の頃より才気あふれる人物だったということは疑いようのない事実だったのではあるまいか?
白うさぎも石田三成は大好きだ!だから『しまさこにゃん』が好きなのだ。
長浜駅前にある隠れた名店『とらや食堂』
白うさぎの妹の「おねい」が歓喜の涙にむせびそうなシブ過ぎる外観と、ひときわ目立つ「小さな食堂・大きく感謝」の文字
『開知学校』
明治4年、滋賀県初の小学校として創設された「滋賀県第一小学校」が前身で、その後明治7年に市民の寄付で建築されたのがこの「開知学校」である。
洋風4階建てのモダンな校舎がひときわ目を引く。
たった数年前まではちょんまげで歩いていた人達が、わずか数年後には、政治システムを改革し、鉄道を引き、モダンな建築物を次々に建てていった。この幕末・明治人のエネルギッシュでバイタリティーあふれる行動に、日本人としてただただ頭が下がる思いだ。本当にご先祖様達はスゴかったんだ

その開知学校から少し離れた所に、
ムムム…なにやら奇妙な建物が…
つづく
Posted by 白うさぎ at 23:34│Comments(0)
│旅
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