2008年04月25日
敦賀駅へ行ってきた!
ちょっとアップが遅れてしまったが、先週末白うさぎの母親が来訪し、帰りは特急「雷鳥」に乗るというので、敦賀駅まで見送りがてらチビうさ達と出かけた時の話題。
白うさぎの住む湖北町から敦賀まで行くには、普段西浅井町の塩津から新道野越で行く国道8号線ルートを主に通るのだが、今回は旧北陸本線(後の柳ヶ瀬線)ルート(木ノ本-中ノ郷-柳ヶ瀬-雁ヶ谷-刀根-疋田-鳩原信号場-敦賀)をたどって行く事にした。
やはり「血」のなせる業か、白うさぎの母親も歴史や旧跡が好きなのだ。
今は福井県道・滋賀県道140号敦賀柳ヶ瀬線となっている旧北陸本線「柳ヶ瀬トンネル」
トンネルの幅が狭い為に片側一車線道路となっており、信号による交互通行となっている。
また全長が1,325mあり、待ち時間は結構長い。
「柳ヶ瀬トンネル」は明治17年開通のトンネルで、今では長浜の「鉄道スクエア」に展示してある伊藤博文揮毫による『萬世永頼』の額がトンネル入口上部に掲げられていた。(現在は道路脇に沿革とともにレプリカが展示してある。)
トンネルの中は暗くて狭い。(「お化けトンネル」とも呼ばれているとか…)
柳ヶ瀬線は全線を通じて25‰の急勾配であり、上り列車がトンネル内で立ち往生、あるいは逆行することがしばしばあった魔の路線でもあり、機関士、乗客の窒息事故が頻繁に起こったという。
なんせ昔はSLだもんな…トンネルに入る度に窓を閉めたそうだし、煙モクモクでトンネル内に多量の煙が充満したんだろうなあ…。
昭和3年12月には、トンネル内で延べ5名が窒息死する事故が起きている。
この「柳ヶ瀬トンネル」が開通するまでは、トンネルを挟んであった柳ヶ瀬駅-洞道西口駅間は徒歩で接続していたというから明治時代の人々の苦労がしのばれる。
それにしても鎖国時代にも海外の知識の蓄積はあったにせよ、ちょんまげに二本差しの時代からわずか10数年で日本は驚くべき進歩を遂げたんだなあ~。こういう「遺跡」を見ると、ご先祖様にほとほと頭が下がる思いだ。
これは「小刀根トンネル」
道路脇に鉄橋跡と共に佇んでいる、明治14年開通の日本最古の鉄道トンネルだ。
「小刀根トンネル」は、柳ヶ瀬線で明治時代の建築当時の姿を留めている唯一のトンネルで、敦賀市の文化財にも指定されている。
柳ヶ瀬線には「柳ヶ瀬トンネル」「小刀根トンネル」「刀根トンネル」「麻生トンネル」があったが、「柳ヶ瀬トンネル」は車道化の為一部手を加えられており、「刀根トンネル」は道路の拡幅工事により原形を留めていない。「麻生トンネル」に至っては切り通し化されてしまって見る影もない。
その他の廃線跡もかなり自然に返ってしまっているが、色々と想像をかき立てられる路線だ。
いよいよ到着!JR北陸本線「敦賀駅」
海の向こうは任那から渡ってきたという「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」像がお出迎え。
敦賀は古代三大要津(港)のひとつであり、笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていました。日本書紀崇神天皇の条に、朝鮮半島任那国(みまなのくに)の王子であるツヌガアラシトが来着しました。 (AD32年頃)その王子の額に角のようなものができていたので人々は「角額の人」といい、都奴賀とも書き、 さらに転じて角鹿(つのが)と記すようになりました。恐らく冠か冑の類をかぶっていたものと思われます。
その約100年後に角鹿国が定められ、さらに角鹿海直(あまのあたひ)という海事担当の役人が特別に配置されました。大陸に向かって、日本海と敦賀の港が古代より重要視されていたことがわかります。この角鹿が敦賀の地名起源になったといわれ、気比神宮境内摂社にツノガアラシトを祀る角鹿神社があります。
「敦賀市立角鹿中学校」のHPより
白うさぎ一行は、見送りがてら入場券を買って、駅の構内へズンズン…
ちゃっかりチビうさ達は電車チョロQ買ってもらったりして…。(チビうさ1号⇒223系2500番台、チビうさ2号⇒トワイライトエクスプレス)
列車編成表
寝台特急の号車案内プレートが旅愁を誘う
小浜線ホーム
北陸本線、小浜線、湖西線が乗り入れる敦賀駅には様々な電車がやって来る。
チビうさ達も大興奮だ!
125系電車
223系電車
521系電車
455系電車
683系特急「しらさぎ」
ちょっと汚れが目立った「しらさぎ」に、チビうさ2号も思わず、「きたないかおやなぁ~」
引退の決まった485系特急「雷鳥」がやって来た。
国鉄色の車両がまぶしい。おなじみ「雷鳥」のヘッドマークも!
「金沢」行きの特急「雷鳥13号」がやって来たよ。
入線時に聞こえてくる車輌の音が「老兵」の足音を感じさせるものの、妙に懐かしく感じる。
白うさぎの母親は、「金沢」まではこの特急「雷鳥13号」に乗車し、「金沢」から「新潟」までは特急「北越5号」、「新潟」から「府屋(ふや)」までは特急「いなほ9号」へと乗り継いで家へと帰るのだ。
「直江津(なおえつ)」までは北陸本線、「直江津」から「新潟」までは信越本線、「新潟」から「新発田(しばた)」までが白新線、途中の「新津(にいつ)」から「府屋」までが羽越本線と路線も次々替わる。(時刻表読んでてもページからページへの移動が大変だよ!)
直江津まではJR西日本の管轄だし、直江津以東はJR東日本の管轄だ。
とにかく新潟県は「長い」県境を越えてからがとにかく長い長い。お母さんお疲れ様でした。
さて、見送りの寂しさもなんのその!電車を堪能したチビうさ達であった。
白うさぎとしては、「月光型」寝台列車である583系電車を改造した419系電車が見られなくて心残りだった通称「琵琶湖環状線」ができてから、湖北ではトンと見る機会が少なくなっただけに残念
電車が来る度に、精一杯手を振るチビうさ達。
車掌さんや時には運転士さんも(ホントはあかんのやろけど…)手を振り返してくれ、チビうさ達は大喜び
ますます「鉄」好きになった事だろう。
奇しくも今日は、福知山線の事故から丸3年。犠牲者の方々には心から哀悼の意を表明します。
JR西日本に対しては、いつまでも子供達の夢を壊さないように、真摯な企業経営をお願いしたいと思う。
駅と港の街「敦賀」をアピールする為のイメージキャラクターが松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」なのだ。
写真は鉄郎&メーテル&「999号」
駅前通りのそこかしこに銅像が立ち並ぶ。古代守や森雪もいるよ!皆さん一度ご覧あれ。
さすがに全部撮影している間はなかったが…
「インフルエンザときらきらうえつ」の巻
「また新潟へ帰ります…」の巻
シリーズ・夏の想ひ出~「急行きたぐに・盆帰省編」の巻
シリーズ・夏の想ひ出~「坂本ケーブルでGo!」の巻
「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之五・「復路」〉
「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之四・「いなほの車窓から」〉
「また新潟へ帰ります…」の巻
シリーズ・夏の想ひ出~「急行きたぐに・盆帰省編」の巻
シリーズ・夏の想ひ出~「坂本ケーブルでGo!」の巻
「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之五・「復路」〉
「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之四・「いなほの車窓から」〉
Posted by 白うさぎ at 23:51│Comments(3)
│「鉄」ネタ!
この記事へのコメント
新潟は長い。柏崎に何度か行きましたが、片道5時間も
電車に揺られ大変でした。
敦賀駅に999があるのかー?知りませんでした。
秋ぐらいでも覗きに行ってきます。
(流石に怖そうなトンネルは通りませんけどね)
ついでに会社の友人にも教えてあげます。
電車に揺られ大変でした。
敦賀駅に999があるのかー?知りませんでした。
秋ぐらいでも覗きに行ってきます。
(流石に怖そうなトンネルは通りませんけどね)
ついでに会社の友人にも教えてあげます。
Posted by 湖東 at 2008年05月01日 00:48
湖東 様
返事が遅くなりスミマセン(;^^A
ワタシも初めて敦賀駅周辺で999を見た時には目がテンでしたが…。一体何体あるんでしょうかね…結構気になってます。
新潟はとにかく長いですよ~。間の福井、石川、富山を抜ける倍の時間かかりますからね。
返事が遅くなりスミマセン(;^^A
ワタシも初めて敦賀駅周辺で999を見た時には目がテンでしたが…。一体何体あるんでしょうかね…結構気になってます。
新潟はとにかく長いですよ~。間の福井、石川、富山を抜ける倍の時間かかりますからね。
Posted by 白うさぎ at 2008年05月02日 23:51
キハ58の運用 運用区間
教えてください
教えてください
Posted by 耕太 at 2008年07月10日 19:24
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