『おたっしゃ倶楽部』も先日めでたくオープン2周年を迎えた。
その栄えある1期生であるKちゃんがある日こんな事を言っていた。
「昔の運動会は何であんなに楽しかったんやろー」
確かに少子化や教育方針の転換などにより、運動会も昔とは大きく様変わりしてしまった様に思える。
例えば「騎馬戦」や「棒倒し」などは絶滅したのではないかとさえ思える。
10年ほど前に長浜市内の特別養護老人ホームに勤務していた頃、地元の中学校から招待状が届いて数人の利用者さんを連れて「観覧席」で観戦した事がある。
生徒さん達は一生懸命競技に取り組んでいたと思うのだが、白うさぎにとってはひどく「退屈」なものに感じられた。
なぜか?
それはプログラムの大半が「徒競争」と「リレー」で占められていたからだ。
全員参加の徒競争、全員参加の「団対抗リレー」「学年別リレー」など、延々と生徒が走っている姿を見せられるのである。途中から見たら一体プログラムのどの辺なのかさっぱりわからない。
また「全員リレー」などは確かに順位が激しく入れ替わるので面白いと言えば面白いのだが、いかんせん競技時間が長過ぎて、間延びしてしまう。
これは白うさぎの感じ方なので、他の人はどうなのかわからないが、こういうプログラム構成はいかがなものか?と思った。
「運動会」って「オリンピック」みたいに、様々な競技があるから面白いのではないのか?
ただ足が速い者だけが勝つ!というもの(「徒競争」とか「リレー」)だけではなく、チームとしての戦い方がものをいうもの(「綱引き」や「騎馬戦」等)や、「運」や「偶然」の要素がからんでくるもの(「障害物競争」や「借り物競走」)、観戦者も見て楽しめるもの(「アメ食い競争」等)があってこそ、「楽しい運動会」なのでは…。
その点、今や統合で消滅した白うさぎの出身高校(全寮制・男子校)の運動会は断トツの面白さだった!
なんせ、1~3位までに入賞すれば「賞品」が貰えるのだ!
…と言っても、「賞品」はノートや鉛筆、シャンプーや石鹸、歯磨き粉など文房具や日用消耗品がほとんどだったが…(何せ寮生活だからね…)
全員が全種目に出るという訳でなく、「全員参加種目」と「チーム種目」、「個人種目」とがあり、それぞれホームルームの時間に参加種目を決めていた。
「賞品」が出るのもユニークだったが、競技種目もユニークだった。
運動会の花形「100m走」や「リレー」は当然あったが、以下の食べ物種目には必ずどれか1種目に出場と決まっていた。
・「早食い競争」(バナナの早食い)
・「早飲み競争」(ラムネの早飲み)
・「八岐大蛇」(小麦粉にまぶした飴玉を探し当てて食べる)
・「パン食い競争」(伝統的なあんパンを食べるもの)
以上の4種目である。
この競技、普通に速さのみを競っていては何にも面白くない。(見てる方がね…)
中にはレースに出場する選手同士が示し合わせて、わざと食べ物が置いてある所まではゆっくり歩いて行き、みんなで「いただきます」をしたり…というパフォーマンスがあったりした。(そして周囲からは盛んに
「裏切れ!」「裏切れ!」の野次が飛ぶ)
あくまでフェアプレーに徹する者もあれば、土壇場で裏切り行為に走る者もいて競技を盛り上げたものだ。
また、ラムネの早飲みのコツとしては、瓶を思いっきり振ってからフタを叩いて飛ばし、炭酸をあふれさせて飲む量を減らす事なのだが、1年の時の担任の教師(何と!教師も参加するのも特徴なのだ)なんかは、勢い余ってラムネ瓶を叩き割ってしまった(なんせ少林寺拳法をやっていて、白うさぎを除くクラスの全員が殴られた経験あり)
「チーム種目」には、「百足競争」などがあったが、
「帰って来たヨッパライ」という種目をぜひとも紹介したい。
白うさぎは3年間この競技に出場したが、ルールはいたって簡単。
①スタートしてA地点に向かう。
②A地点に円が描かれており、バットが置かれている。
③バットをおでこにあててその場で10回回る。
④回り終わったらB地点に向かう。
⑤B地点には近江商人におなじみの天秤棒に10キロほどの重りがついたものが置いてある。
⑥天秤棒を担いで折り返し点まで走る。
⑦折り返し点を回ったら、再びB地点まで戻り天秤棒を置く。
⑧スタート地点まで戻って次走者へタッチ!
A地点でのバットクルクルが終わった時点で既に大半の者は目が回って真っ直ぐ走れない状態だ。
もう足をもつれさせながら這う様にしてB地点に駆け込むのが精一杯だ。
ひどいケースになるとバット持ったまま転倒したり、回転しながらあらぬ方角へフラフラと行ったりする者もいた。
天秤棒に手を伸ばそうとしているのに、足だけ別の方角へどんどん行ってしまった同級生の場合なんか、本当に気の毒だったが大爆笑してしまった
内容もハードだったが、一番笑いのとれる種目であった。
この他「借り物競走」「障害物競争」「マラソン」「PK合戦」「クラブ対抗リレー」などがあった。
さてここで問題の「騎馬戦」と「棒倒し」を取り上げたい。
白うさぎの母校は男子校だったから、バイオレントな空気プンプンである。
「騎馬戦」については、ルール上は「暴力禁止」である。(当たり前だが…)
しかしそれが「タテマエ」に過ぎないのは実際に競技がスタートしてから思い知らされる…。
騎馬戦の暴力行為って馬上で繰り広げられるものばかりではない。
土台を担当した白うさぎなど、先輩に嵐の様なローキックをお見舞いされたと、いうのも騎馬が崩れたらアウトだからである。
1年の時に上に乗せた先輩は狂犬の様な人で、まさに相手に「襲いかかって」いった。
こちらも必死で支えたが、土煙りとともに互いの騎馬が崩れた!
一瞬土煙りで何も見えなくなった…と思ってたら、先輩、相手選手に殴りかかっているではないか!?
そしたらさらに大きな影が横切ったと思ったら、鬼のような形相の寮の幹事が「止めに入った!」(実際は先輩に殴りかかって止めた)
先輩は羽交い絞めにされながらも暴れているし…全くひどいもんだった。はぁ~。
「騎馬戦」より最悪なのが「棒倒し」だ。
この競技、タテマエ上も「暴力禁止」を謳っていなかったから全くひどい
皆さんもご存じの通り、「棒倒し」の競技のルールは、皆で支える棒を打ち倒すか、棒の先に付けられた旗を取るかで勝敗が決まる。
棒を支える土台は2年が担当、1年は外周を固め、3年が攻撃を担当するのだが…。
1年の時、ピストルが鳴ったかと思うとたちまち鬼の様な形相の先輩が迫って来た!
すぐに顔を背けたが、瞬間背中に激痛が…。
「グエッ!」
ドカッ!バキッ!
あとは踏んだり蹴られたり、目前では同級生が殴られていた
勝ったのか、負けたのかって…そんなもの覚えてません…。
2年の時も同様で、ボカスカ殴られ蹴られ…トホホ。
3年になったら、フフフフ…。
「やったるでぇー!」
白うさぎと同級生のモリヤンは、生意気な雅楽部の2年を
「絶対シバいたる!」と心に固く誓っていた。なんせ1年に一度だけ合法的に暴力が許される日なのだ!
ところが、まさかまさかのルール変更である!
何と白うさぎが3年になって急に「暴力禁止」が明記された!
実はそれまで先生や先輩による体罰や制裁といったものは半ば黙認されてきた経緯があったのだが、急に風向きが変わったのである。
「2年までは殴られ損かよ~」白うさぎ達が怒った事は言うまでもない。
でも、実際に競技が始まると闘争本能は止められないわね…。
ピストルが鳴ると同時に、白うさぎ達は狙いをつけていた2年へ向かう…ハズだった。
ところが、その2年もピストルと同時に猛然と戦場を離脱した。自分が狙われてるのを重々承知していたのだろう。全く食えない奴だ。
モリヤンはモリヤンで自分のリストにあるナンバー2以下をシバきに行った
白うさぎはたまたま目の前に棒が倒れてきたので長身を生かし旗をジャンプ一番引き抜いた。
結果的に人を殴らずに済んで良かったのか…。
モリヤン?競技終了の合図が鳴ってもシバいてたなぁ~
「男子校」って独特の雰囲気があるんだよね。
「男臭さ」ってある意味魅力なのかも知れないけど、若さとエネルギーが有り余ってるし、異性を意識しない訳じゃないし、鬱屈したエネルギーをどっかしらで発散させなければ、あれだけの集団だ。問題の一つや二つ起こっても不思議じゃない。
そう考えると「運動会」はいいガス抜きになっていたのかもしれないなぁ~。
今となってはいい思い出だ。
※この記事を書いている時に「帰って来たヨッパライ」の作曲者である加藤和彦氏が亡くなったとのニュースが入って来た!
「帰って来たヨッパライ」はリアルタイムでは知らないけど、「はじめ人間ギャートルズ」の挿入歌だったので親しみがあった。高校時代には「サディスティック・ミカ・バンド」の再結成というのもあったなぁ。
「自殺か?」との報道もあったが、残念だ…合掌…。