「嗚呼!すれ違い…」の巻
京阪電車大津線「浜大津」駅の陸橋から眺めた京阪600形電車同士のダイナミックなすれ違い。
思わせぶりなタイトルであるが…
携帯電話が普及していない頃、人々の織りなす「すれ違い」は数々のドラマを生んだ。
物理的なすれ違いだけではない、人々の感情のすれ違いや行き違いがドラマを生む、まさに「すれ違いあってドラマあり」
~これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸~
湖都・大津は昔からドラマの宝庫だ。
中大兄皇子(天智天皇)は白村江で一敗地にまみれ百済を救えず、近江・大津へ遷都する。しかし弟・大海人皇子との相克から自分の死後、壬申の乱が起き、息子である大友皇子は自害、大津京は短命に終わった。中大兄皇子・大海人皇子兄弟は額田王をめぐってのラブロマンスもあったりして古代史に彩りを添えている。
大津は交通の要衝でもあった。その名の通り、湖上交通の要でもあり、百人一首にも詠まれた逢坂の関は、東西の旅人や物資が行き交った。また勢多橋は数々の合戦の舞台となっている。
比叡山延暦寺と園城寺(三井寺)は同じ天台宗ながら激しい対立抗争があり、焼打ち事件なども起こしているが、それぞれの僧兵は「平家物語」でも大暴れしている。
同じ「平家物語」を貫くテーマは「盛者必衰の理」だが、平氏を都から追い落とし一時は「朝日将軍」と呼ばれた木曽義仲も例外に非ず、都の治安維持に失敗し、後白河法王とも仲違いした末、源頼朝の差向けた軍勢に敗れ、粟津で戦場の露と消えた。
織田軍団の出世頭・明智光秀は、坂本城を居城としていたが、本能寺で主殺しを達成、一度は天下を手中にしかけたものの西国への使者は届かず、細川幽斎・筒井順慶・中川清秀・高山右近等の与力武将達にはそっぽを向かれ、小栗栖で散った。
近江源氏・佐々木氏の一門・京極高次は、一旦は西軍に味方したものの、変心して大津城へ籠城。苦しい攻防戦を戦い抜いて、毛利秀包・立花宗茂ら西軍・最強軍団を釘付けにし、東軍の関ヶ原における合戦の勝利に貢献した。
江戸時代には東海道の宿場町として大いに栄えた大津。
英雄や民衆が紡ぎだすドラマティックな歴史の宝庫の街である。
そんな街を走る京阪大津線は、湖都・大津の街中を急カーブを繰り返しながら縫うように走りスリル満点。
併用軌道路線では路面電車の気分を楽しみ、東海道の難所・逢坂山へは自動車と並走しながら急勾配を登る。
駅も個性的で一日乗っても本当に飽きが来ない路線だ。
残念ながら京津線の一部は廃線となってしまったが、廃止された路線には一度だけ乗車した事があり、いい思い出になった。
蝉丸が詠んだ様に、列車にゆらり揺られて、行きかう人々を見やりながら、古代からの歴史の流れに思いを馳せるも一興かと…。
「京阪電車大津線 公式webサイト Keihan-o2.com」
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