「わたしのいもうと」の巻

白うさぎ

2009年03月19日 23:03

先日「フォレオ大津一里山」へ行った際、中にある「大垣書店」でチビうさ達の絵本を探していてふと目にとまった本があった。


「わたしのいもうと」
作: 松谷 みよ子 絵: 味戸 ケイコ 出版社: 偕成社 税込価格:¥1,260(本体価格:¥1,200)


この子は わたしのいもうと
むこうを むいたまま ふりむいてくれないのです
いもうとのはなし きいてください

いまから7年まえ わたしたちはこの町にひっこしてきました
トラックにのせてもらって ふざけたり はしゃいだり
アイスキャンディをなめたりしながら
いもうとは 小学校四年生でした

けれど てんこうした学校で あの おそろしいいじめがはじまりました
ことばがおかしいとわらわれ とびばこができないといじめられ
クラスのはじしらずと ののしられ くさい ぶたといわれ

―ちっともきたない子じゃないのに いもうとが きゅうしょくをくばると うけとってくれないというのです・・・

とうとう だれひとり 口をきいてくれなくなりました。
ひと月たち ふた月たち えんそくにいったときも いもうとはひとりぼっちでした
やがていもうとは 学校へいかなくなりました

ごはんもたべず 口もきかず いもうとはだまってどこかをみつめ おいしゃさんの手も ふりはらうのです
でもそのとき いもうとのからだにつねられたあざがたくさんあるのが わかったのです

いもうとは やせおとろえ このままではいのちがもたないと いわれました
かあさんがひっしで かたくむすんだくちびるに スープをながしこみ だきしめて だきしめて
いっしょにねむり 子もりうたをうたって ようやくいもうとは いのちをとりとめました

そして まいにちがゆっくりとながれ
いじめた子たちは中学生になって セーラーふくでかよいます
ふざけっこしながら かばんをふりまわしながら

でも いもうとはずうっと へやにとじこもって 本もよみません おんがくもききません
だまってどこかを見ているのです ふりむいてくれないのです

そしてまた としつきがたち
いもうとをいじめた子たちは高校生 まどのそとをとおっていきます
わらいながら おしゃべりしながら…

このごろいもうとは おりがみをおるようになりました
あかいつる あおいつる しろいつる つるにうずまって
でも やっぱりふりむいてはくれないのです
口をきいてくれないのです

かあさんはなきながら となりのへやでつるをおります
つるをおっていると あの子のこころが わかるようなきがするの…

ああ わたしの家は つるの家
わたしはのはらをあるきます
くさはらにすわるといつのまにかわたしも つるをおっているのです

ある日いもうとは ひっそりと死にました
つるをてのひらにすくって 花といっしょにいれました

いもうとのはなしは これだけです

 わたしをいじめたひとたちは
 もうわたしを わすれてしまったでしょうね
 あそびたかったのに
 べんきょうしたかったのに

 (「わたしのいもうと」松谷みよ子・文/味戸ケイコ・絵 偕成社 1987年)より



参考:「わたしのいもうと」←このサイトでは挿し絵を見る事ができる


この話を初めて知ったのは社会人になってからだった。

松谷みよ子氏は「モモちゃんシリーズ」で有名な児童文学者だが、他方「現代民話」というジャンルでも功績を残されている。
「現代民話」と言っても聞きなれないフレーズだと思うが、近現代において進化する文明とその挟間に起こった出来事、庶民の生活や自然・動物との関わりの中で発生した「ちょっと怖い話」や「愉快な話」なんかを収集したものだ。
「口裂け女」や「妖怪赤マント」なんかの「都市伝説」も「現代民話」の一種だろう。

「NHK人間大学」でこの「現代民話」を取り上げた時があって、白うさぎも学生時代から民俗学なんかには興味があったものだからテキストを購入したのだった。
その中で「学校の怪談」を取り上げた回があり、「現代の民話“いじめ”」としてこの「わたしのいもうと」が取り上げられていたのだ。

松谷氏は次の様に述べている。

 今、学校の現代民話として、どうしても語り伝えたいものにいじめがある。 ある、若い女性から手紙をもらった。「わたしのはなし、きいてください」という文章からはじまるその手紙の、「わたしをいじめたひとたちは、もうわたしをわすれてしまったでしょうね。」というくだりを読んだとき、思わず涙が出た。
 語り伝えたい、と思った。身のまわりの小さないじめ、自分と同じでないものを許さないいじめ、それは他民族への差別ともなり、戦争への道へつながっていくのではないか。絵本、『わたしのいもうと』が生まれた。(NHK人間大学テキスト「現代民話」第十回:学校の怪談より)


>戦争への道

というのは若干飛躍しすぎている様にも感じるが、「いじめ」「差別」には、白うさぎも小学校の頃にいじめにあった経験があるから、理解できる。

 わたしをいじめたひとたちは
 もうわたしを わすれてしまったでしょうね
 あそびたかったのに
 べんきょうしたかったのに


当時、この箇所に大変心を揺り動かされた。

年月が経ち、子を持つ親の立場になり、初めて絵本を手に取り読んでみて

 かあさんはなきながら となりのへやでつるをおります
 つるをおっていると あの子のこころが わかるようなきがするの…


この箇所が強烈に印象に残った。

学校でいじめに逢って、唯一味方になってくれるのが家族だ。最後の心の拠り所だ。
しかし「いもうと」は心を閉ざしたまま…。
「かあさん」は折り鶴を折る事で必死で「いもうと」に寄り添おうとしている。
それでもその「思い」が通じてるのか通じていないのかわからないまま「いもうと」はこの世を去って行ってしまう。
どんな思いで送ったのだろう…と考えると心が痛む。


白うさぎも、小学校時代はいじめにあっていた。
6年生になったらさすがに大分マシにはなったが、バカにされたり、教科書を隠されたり色々な目にあった。
クラスの中で「あだ名」で呼ばれていたのも白うさぎだけだった。
ちなみにそのあだ名は、最近差別用語的な扱いをされて殆ど目に触れる事がなくなった「土人」である。
元々日焼けしやすい体質で、外で遊び回ってたから真黒に日焼けしていたからだった。
白うさぎの両親が、新潟の片田舎にあって、転入してきた「ヨソ者」であった事もいじめられた要因ではなかったか?と今は推察している。


今でも忘れもしないエピソードがある。

小学校の「卒業文集」
「思い出の写真」をまとめたページで、「もちつき会」の写真。
杵を振り下ろす同級生の女の子の写真、その杵の行先である臼の中に、白うさぎの顔がコラージュされていたのだった。
卒業文集委員になっていた子は多分悪意があった訳ではないのだろう。「面白半分」でやったに違いない。
編集の最終責任者である担任の先生も、多分「面白い」と思ったのだろう。
確か文集が手渡されたのが卒業式の前日だったかその前だったか…。

それより少し前、「こんな感じに仕上がった」と先生がホームルームの時間にパラパラッとやった。
編集委員の子達が「わぁ~」とあわてた。
その時には何をあわてているのかわからなかった。

しかし卒業式を目前に控えて、初めてその「内容」がわかった。
悔しくて悔しくて、母親に見せた。

母親も激怒した。当たり前だ。
クラス新聞だとかの話ならともかく、一生残る「卒業文集」だ。
抗議の電話を入れようとしたのだが、なぜか電話が繋がらなかった。

「きっと、神様は抗議をすることをのぞんでいないのかな…。」
結局白うさぎ母子は抗議を泣く泣くあきらめることにした。

一生思い出に残る卒業文集だが、どこへやったか覚えていない。あえて探して見る気もしない。
でも「した側」は何とも思っていないんだろうな…。
ちょうど巷では小学校の卒業式があちこちで行われている。
6年間を過ごした小学校に別れを告げ、新たな旅立ちだというのに…晴れやかな気持ちで迎えられなかった人もいるという事を当時はみんなに知って欲しかった…。


「した側」に対して今はもう何も言う事はないし、自分自身も人を断罪できるほど高潔な人間だとも思えない。
ただ言えるのは、「いじめをやめよう!」と叫んだからと言って、いじめはなくならないという現実だ。

「高齢者」「障害者」が笑いのネタにされていた時代も確かに存在した。
TVでお笑い芸人がやるもんだから、小学生は訳もわからず「面白いから…」とみんな真似をした。
「緑の救急車」という都市伝説もあった。「精神疾患」で苦しむ人の気持ちなど考えず、ちょっと変わった行動をしたりすると「キ〇ガイ」呼ばわりしてはやしたてたりした。
学校の先生にしてからが、遠くのベトナム戦争には心を痛めても近くの差別問題には明らかに鈍感だった。

現在…「差別表現」が「自主規制」されてても、若手芸人をいびって笑いをとる様な番組を見るにつけ、当時とどれだけ変わったのだろう?と感じる。
「人間って、結局こういうものを欲しているのか?」と暗澹とした気持になる。


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