「賤ヶ岳隧道の謎」の巻

白うさぎ

2009年06月14日 18:00

仕事で旧国道8号線(現在は県道514号飯浦大音線)を通って木之本町飯浦方面へちょくちょく出かけるのだが、途中に昭和2年竣工の「旧・賤ヶ岳隧道」がある。

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「塩津街道」と示されている道が現在の国道8号線で、途中通過するトンネルが現在の「賤ヶ岳隧道」である。
県道514号線は途中「大音」交差点で国道8号線と分岐し、伊香具小学校を迂回する山越えルートで、旧「賤ヶ岳隧道」を通過して、そこから坂道を下り、飯浦集落手前で現国道へ合流するルートとなっている。


木之本側坑口


木之本側坑口には「賤ヶ嶽隧道」と書かれた扁額が掲げられている。


敦賀側坑口


敦賀側坑口には「周道如匡」と篆書体で書かれた扁額が掲げられている。
滋賀県知事・堀田義次郎(任期:1919.4.18~1923.10.25)による揮毫である。
随分長い間何と書かれているのか意味不明だったが、ブルーガイド・ムック「廃道本」(実業之日本社)によれば、「周湖の道を匡するが如し」の意で、“屈曲の多い湖岸の道を隧道によって真っ直ぐにした”という意味だそうである。
ちなみに堀田義次郎は滋賀県知事としては16代目(現職の嘉田知事は51代目)である。(官選・公選含)

煉瓦積みの壁といい、コンクリートブロックによる見事なアーチ、重厚なピラスター(坑口の脇に立つ柱)と旧隧道の魅力がたっぷり味わえる。トンネル工事には当時の土木技術の粋が集まっていたであろう事は、この重厚な造りから十分うかがえる。


この「賤ヶ岳隧道」に最近異変が起こっている

と言っても「幽霊が出た!」とかそういった類の話ではない。

確かに「あのトンネルには“でる”らしい…」という話は聞いた事はあるが…。
なんせ「賤ヶ岳の合戦」の舞台だし、麓の山梨子(やまなし)地区には湖の底に落ち武者がいたとかいう伝承もある。しかも隧道の木之本側出口には墓地があるときたらシチュエーションはバッチリ

まあ、見ていただきたい。
その上で各人でご自由に判断いただければ…と思う。


それではどうぞ…


坑道の壁にひっかけられたペットボトル




中には洗面器まで…

一体誰が!?
何の目的で!?

はじめはそんなに数も多くなく、滴り落ちる水でも採取する目的でぶら下げてるのかと思っていたが、日を追うごとに数が増え、写真を撮った時でさえ20箇所以上!!
現在では30箇所以上に増殖している!!

一度県事務所へ通報してみようかな…


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