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2009年06月29日

「紫陽花見物ウィーク」の巻

先週の金曜日から昨年に引き続き、「紫陽花見物ウィーク」と称して利用者さんと一緒に余呉町は池原にある全長寺さんへ出かけた。

今年は空梅雨で、初日と二日目は晴天に恵まれた。
今日も午後からは大雨だったが、午前中のお出かけには支障なし。全くありがたい事である。


「全長寺」山門


みんなで頑張って歩いていますicon10


立ち止まり紫陽花を眺める二人







今年は少雨の影響もあったのか全体的に小ぶりで不作といったところ…昨年はもっと沢山咲いていたのに…残念…。

しかし昨年石畳が敷かれ整備された参道の脇のスペースには満開の紫陽花があり、二日目からは見物コースを参道散策へと切り替えた。

あと紹介したいのが、今年からはじまったもう一つの目玉。
それは…「七福神めぐり」

昨年までは禅宗と関係の深い「布袋さん」の石像一体があるのみだったが、「七福神」の残りの六体が寄進され、境内のあちこちに安置されている為、境内地で「七福神めぐり」ができるのだ。
これはちょっとした楽しみだ。


「えべっさん」こと「恵比寿さん」
七福神の中で唯一の日本人だ。

本日の車中での会話…icon17

K氏(利用者さん)「昔は自転車に乗って高月から余呉まで勤労奉仕で麦刈りに来たもんよ」

K氏「新堂まで来たら、“しんど~、しんど~”ってな!?」

白うさぎ「そのギャグは、これですな」
指さしたiconN37方向には「今市」の看板が…kao05

「紫陽花見物ウィーク」は今週の木曜日までの予定であるが、天気予報ではあいにくicon03の予報である。
半井さん、なんとかしてくれぇ~kao03


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曹洞宗・久澤山全長寺
〒529-0536滋賀県伊香郡余呉町池原
TEL:0749-86-2001  FAX:0749-86-2001
~あじさいとだるま寺~ 曹洞宗「久澤山 全長寺」HP  

2009年06月26日

「続報!賤ヶ岳隧道の謎」の巻


「ハートスランプ二人ぼっち」円広志

「探偵!ナイトスクープ」のオープニングテーマ曲に乗せて送る、「賤ヶ岳隧道の謎」の続編である。

昭和2年竣工のトンネル内に不審なペットボトルが多数ぶら下げられている為、県の土木事務所へメールで通報したところ、以下の様な回答をいただいた。
真摯に回答していただいた職員さんに改めて感謝したい。

~以下メール本文~


白うさぎ 様

ご連絡ありがとうございます。

ご指摘いただいた、トンネル内にペットボトル等が吊り下げられている件ですが、 調べてみますと、5年ほど前から今回のようなことがあるようです。
しかし、誰が、何の意図で吊っているのかは不明です。
土木事務所では時々撤去を行っており、今回もご指摘いただき撤去を行いました。

地元の区でも見苦しいので何度か撤去をされましたが、しばらくするとまた同じように吊されている状況です。

このトンネルは、今から82年前に県道の改修工事として、昭和2年11月に完成しました。
道路を美しく、安全に利用していただくためにもお気付きのことがあればご今後ともよろしくお願い申し上げます。

                  木之本土木事務所 管理調整課 管理建築担当



結局不審なペットボトルを「誰が」「何の為に」吊り下げたのかはわからずじまいだったが、5年前からこの様な事があった様である。とすると、特定の人物が何らかの意図をもって行っているらしいと考えられる…ムムム…。

疑問が解決せず気味が悪いが、現在は一切撤去されておりきれいになっている。  
タグ :賤ヶ岳隧道

Posted by 白うさぎ at 15:55Comments(0)TrackBack(0)廃道・隧道

2009年06月14日

「賤ヶ岳隧道の謎」の巻

仕事で旧国道8号線(現在は県道514号飯浦大音線)を通って木之本町飯浦方面へちょくちょく出かけるのだが、途中に昭和2年竣工の「旧・賤ヶ岳隧道」がある。

場所はこちらicon15

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「塩津街道」と示されている道が現在の国道8号線で、途中通過するトンネルが現在の「賤ヶ岳隧道」である。
県道514号線は途中「大音」交差点で国道8号線と分岐し、伊香具小学校を迂回する山越えルートで、旧「賤ヶ岳隧道」を通過して、そこから坂道を下り、飯浦集落手前で現国道へ合流するルートとなっている。


木之本側坑口


木之本側坑口には「賤ヶ嶽隧道」と書かれた扁額が掲げられている。


敦賀側坑口


敦賀側坑口には「周道如匡」と篆書体で書かれた扁額が掲げられている。
滋賀県知事・堀田義次郎(任期:1919.4.18~1923.10.25)による揮毫である。
随分長い間何と書かれているのか意味不明だったが、ブルーガイド・ムック「廃道本」(実業之日本社)によれば、「周湖の道を匡するが如し」の意で、“屈曲の多い湖岸の道を隧道によって真っ直ぐにした”という意味だそうである。
ちなみに堀田義次郎は滋賀県知事としては16代目(現職の嘉田知事は51代目)である。(官選・公選含)

煉瓦積みの壁といい、コンクリートブロックによる見事なアーチ、重厚なピラスター(坑口の脇に立つ柱)と旧隧道の魅力がたっぷり味わえる。トンネル工事には当時の土木技術の粋が集まっていたであろう事は、この重厚な造りから十分うかがえる。


この「賤ヶ岳隧道」に最近異変が起こっている

と言っても「幽霊が出た!」とかそういった類の話ではない。

確かに「あのトンネルには“でる”らしい…」という話は聞いた事はあるが…。
なんせ「賤ヶ岳の合戦」の舞台だし、麓の山梨子(やまなし)地区には湖の底に落ち武者がいたとかいう伝承もある。しかも隧道の木之本側出口には墓地があるときたらシチュエーションはバッチリiconN36kao10

まあ、見ていただきたい。
その上で各人でご自由に判断いただければ…と思う。


それではどうぞ…


坑道の壁にひっかけられたペットボトル




中には洗面器まで…

一体誰が!?
何の目的で!?

はじめはそんなに数も多くなく、滴り落ちる水でも採取する目的でぶら下げてるのかと思っていたが、日を追うごとに数が増え、写真を撮った時でさえ20箇所以上!!
現在では30箇所以上に増殖している!!

一度県事務所へ通報してみようかな…kao11  

Posted by 白うさぎ at 18:00Comments(4)TrackBack(0)廃道・隧道

2009年06月09日

「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之五・「復路」〉

公私ともに多忙な日々を送っていて、ついブログの更新も滞ってしまっていた。

忙しくしているうちにサッカーの日本代表がW杯出場を決めたiconN04
おめでとーiconN32


さて、話を「新潟帰省編」の最終話へ戻そう。


病院から退院した父親を自宅へ連れ帰り、一緒に夕食を摂った後、駅へ向かう。
「勝木」を出発したのは18:44
やって来たのは「酒田」発・「新津」行きのキハ110系気動車である。


キハ110‐211とキハ110‐216の2両編成だったが、乗客は何と誰もいなかったiconN04
その後「村上」までだ~れも乗って来ず、乗客は白うさぎただ一人の貸し切り状態だった。
暇なので車内探索しよう…。


キハ110‐216車内


キハ110‐211車内

なぜかシートの色が違うiconN06


窓の外の景色は夕闇に沈む「粟島」

次の駅である「越後寒川」で特急の通過待ちの為停車…icon18


「越後寒川」駅名板
合併で地名が変わったのでテープで貼ってあるのが…kao08
ちなみに「新潟県岩船郡山北町」と書かれていた。


特急「いなほ」(485系特急3000番台)が追い抜いて行く。


「勝木」~「越後寒川」間は複線だが、「越後寒川」~「桑川」間は単線区間である。

さすがに「村上」では、学生達が乗ってきて列車内も活気付く。
しかし終点の「新津」までは行かずに「新発田」で乗り換え、白新線で「新潟」へ向かう。


「新発田」停車中の115系電車(この後白うさぎを「新潟」まで運んでくれた)


「新潟」にて(新旧新潟色の115系)


E127系(左)&485系3000番台


「きたぐに」が入線してきた。復路はB4編成である。


あれれ…懐かしの「シュプール」号?(この後すぐ「きたぐに」に変わった)


復路は自由席だ。


白うさぎの一夜の宿(今夜は乗客も少なく、ボックスシートを独り占め)


ここに寝台が格納されているのかと思うとすごいなあ。

「新潟」を出発したのは23:10であった。
車内は夜間も消灯しないので、なかなか寝付けない。しかも空気枕を持参しなかったので首が痛かった…。
学生時代に「きたぐに」で帰省した際に、座席を引き出して寝台状態にして寝ていた御仁があった。
同じボックスにいた白うさぎもちゃっかりその恩恵を受けたのだが、知らぬ間にその方は降車し、残された白うさぎが車掌さんに注意される、というエピソードがあった。

5:13「長浜」に無事到着

「きたぐに」よ!ありがと~さよ~なら~icon23  

Posted by 白うさぎ at 00:54Comments(2)TrackBack(0)「鉄」ネタ!

2009年05月31日

「新潟帰省ふたたび…」の巻 〈其之四・「いなほの車窓から」〉

急行「きたぐに」は、「新津」(にいつ)~「新潟」間を快速電車として走る。(ただし一般乗客が乗れるのは自由席のみ)
平日ともなれば、通勤・通学客でいっぱいになることもある。

さて「新津」は羽越本線の起点であるが、「新津」~「新潟」間は信越本線である。ちとややこしいが…「新津」からの羽越本線は「新潟」を経由せずに「新発田」(しばた)へと向かうからだ。

途中「亀田」に停車し、終着駅「新潟」に到着したのは8:29である。

ここから「秋田」行きの「いなほ1号」に乗り換えだ。
出発時間は8:34で乗り換え時間は5分余り、しかもホームは隣!急げや急げicon16
一夜を過ごした「きたぐに」と名残を惜しむ余裕も、立ち食いそばをかきこむ時間もないicon15


出発を待つ485系特急「いなほ」(当然「上沼垂色」)
その隣には今しがた乗って来た急行「きたぐに」が…。

米どころとして名高い「越後平野」と「庄内平野」を縦断する列車であるから「いなほ」
白うさぎの子供時分からなじみのある特急だ。

「新潟」からは、「豊栄」-「新発田」-「中条」-「坂町」-「村上」と順に停車しながら白うさぎの実家の一つ隣の駅「府屋」まで乗車する事になる。

さて、「新潟」を出た「いなほ」は、白新線を通り「新発田」へと向かう。

「白新線」とは、「新潟」と「新発田」を結ぶ路線なのだが、「新津」を起点とする羽越本線は日本海側の基幹都市である「新潟」を通らずに「新発田」へ向かう路線となっている為、なくてはならない路線となっている。

しかし、何で「新潟」と「新発田」を結ぶ路線が「白新線」なのだろう?
白うさぎもずっと疑問に思っていたのだが、手元の「奥羽・羽越JR私鉄1800キロ」(小学館)によると、当初計画では「新発田」から越後線の「白山」(「新潟」の一つ隣の駅)を結ぶ計画だったらしい。

「新発田」からはようやく白うさぎの地元を通る、羽越本線である。

企業城下町の「中条」、米坂線の起点「坂町」を過ぎ、「村上」を出たらすぐに、直流と交流の切り替えのデッドセクションがあり、一旦電灯が消える。これは少し前の「長浜」-「虎姫」間と同じだ。

デッドセクションを過ぎると、列車はカーブしながら鮭の遡上で有名な三面川(みおもてがわ)にかかる橋梁を渡る。
三面川は、江戸時代に村上藩士の青砥武平治(あおとぶへいじ)という侍が、世界で初めて鮭の回帰性に着目して自然孵化による増殖を始めた川である。(これを「「種川の制」」という。)
城下町・村上には独自の鮭文化が根付いている。
ちなみに皇太子妃・雅子妃殿下のご先祖も元村上藩士だ。

三面川を渡ると、列車は海岸線に沿って北上する。
海岸線に白い砂浜が広がり、沖合には粟島が見え、天気が良ければ佐渡島が見える日もある。
「白砂青松」という言葉が似合う風景だ。

「村上」-「府屋」間で、列車は停車しないが途中の「桑川」~「越後寒川」間には、国の名勝天然記念物である「笹川流れ」という景勝地がある。

この辺りは平地が少なく、山が海にまでせり出している狭隘な地域であるが、そのせり出した花崗岩が日本海の荒波にもまれて作り出された奇岩・奇景が見られる。

しかし残念ながら列車で行く場合は、その狭隘な地域を縫うように行く為、いくつものトンネルで走り抜ける事になる。だからトンネルとトンネルの合間にちらっと見える程度なのが非常に残念である。
でも白うさぎは子供の頃からいつも海が見える窓際に座っていた。

「海」は白うさぎの「心の原風景」だ。
奈良に住んでいた頃は、歴史ロマンあふれる土地柄でありながら、唯一海がないのが不満だった。
滋賀には海はないが海に代わる湖があるのが救いか…。

車窓から見た風景をパチリカメラicon12


遠足?地元の中学生かな?そう言えば中学時代のこの時期、遠足代わりに笹川流れの海浜清掃をしていたな…kao07


見えている道路は国道345号線である。車が出てくるトンネルは「弘法トンネル」、その奥に見えるのが廃道マニア垂涎の「天王沢隧道」である。


「天王沢隧道」の拡大写真。
岩山を穿った隧道であるが、これで昭和50年代半ばまで車道として使用されていたのだ。

「海府浦」と呼ばれたこの地域は昔から難所だった。
現在では二車線の道路が開通しているものの、以前は場所によっては一車線になったり、急カーブが続いたりであった。また山が海に迫っている為、いくつものトンネルで抜けているのは羽越本線と同じだ。
戦後になって自衛隊が道路を開削した箇所もあれば、付け替えられた旧羽越本線の路盤を使用した箇所もある。
かなり変化に富んだルートである事は確かである。

で、江戸時代はどうだったのか?
この辺りは「出羽街道浜通り」と呼ばれる道筋にあたり、津々浦々の漁村には、江戸時代のまんまの道が通っている。(土地が狭いから、到底車が入れない様な箇所もある。今は海側に新道が通っているが…。)
途中にそびえる山々は場所によっては峠越えもしているが、波打ち際や岩場を伝っていった箇所もある。
写真の箇所も「天王沢隧道」ができるまで、岩場のヘツリ道を通って行ったそうである。
「海府浦」にはそんなポイントが何か所もある。


「→」の地点が「ヘツリ道」
昭和になる前までは海側へ迂回していたのだ。おそろしいkao12

海岸線を列車は行くよ~iconN07






「勝木」を通過し、「府屋」へ着いたのは9:54だった。(写真は天然記念物の「筥堅八幡宮社叢」)  

Posted by 白うさぎ at 23:24Comments(4)TrackBack(0)「鉄」ネタ!